連載
#46 #父親のモヤモヤ
仕事と家庭が「限界」、選んだ主夫 「社会復帰は?」に揺れる気持ち
【平成のモヤモヤを書籍化!】
結婚、仕事、単身、子育て、食などをテーマに、「昭和」の慣習・制度と新たな価値観の狭間を生きる、平成時代の家族の姿を追ったシリーズ「平成家族」が書籍になりました。橋田寿賀子さんの特別インタビューも収録。
主夫の男性は、看護師の妻(32)と間もなく2歳になる娘との3人暮らし。近くに、男性の両親も住んでいます。
いまは「ハッピー」。しかし、1年ほど前、夫婦は互いに限界を迎えていました。
男性は以前、自動車部品メーカーの物流部門で働いていました。仕事が多くて残業は当たり前。帰宅は早くても午後8時でした。深夜に及ぶことも珍しくはなかったと言います。「少ない人数の会社でした。人の手配、お金の管理、現場の業務まで。1人で何役もこなさなくてはなりませんでした」
男性は心身の不調で、1カ月ほど会社を休むことになりました。
その頃。家庭内では、妻が1歳になる娘の子育てと家事に追われていました。授乳の回数が減ったとはいえ、寝不足が続きます。動きも活発になり、ますます目が離せなくなりました。そして、家事、特に料理が苦痛だと訴えていました。「『早く帰ってきてほしい』と妻には何度も訴えられました。妻も気がめいり、限界だったのだと思います」
疲れ果てて帰宅した男性がソファで休んでいると、妻は「子どもをお風呂に入れて」と起こします。そして男性が「少し休ませてくれ」と言うと――。ささいなことがきっかけとなる口論が絶えない日々でした。
男性は職場で、妻は家庭で、疲れ果て、追い詰められていました。
そこで夫婦は、男性が会社を辞めて専業主夫になり、看護師の妻が働くという選択をしました。
なぜでしょうか? 「転職も考えました。ただ、『男は仕事、女は家庭』という考えはまだまだ根強いです。私が会社に残業を求められれば、妻の負担がまた重くなる懸念がありました」
一方の妻は、家事や育児に専念するよりも、働きながら家庭に関わることを望んでいました。さいわい、妻の収入で家計はやりくりできる見通しが立ちました。「互いの気持ちを考えた時、私たちにはとっては自然な選択でした。夫婦が穏やかに生活することが、子どもにとってもよい環境になると考えました」
専業主夫となった男性は、妻へのフォローを欠かしません。「仕事の厳しさを痛感しているからです」。弁当づくりに、最寄り駅までの送り迎え、休日のリフレッシュ時間の確保――。
発見もありました。
掃除や料理といった家事に向いている。そう思うようになったのです。「手順を考え、ひとつひとつこなしていくとスッキリします」。料理は、レシピ集などでチェック。バランスを考え、「一汁三菜」を基本にしているそう。写真におさめるため、仕上がりにも気を配るようになりました。
何より、子どもの成長を感じるようになりました。歩き出す瞬間に立ち会えた。普通のコップでお茶が飲めるようになった。目をつぶらないとシャンプーができなかったのに、ある日突然、目を開いた。教えてもいなかった「遊ぼう!」という言葉を急に発した。親以外の世界での学びを実感した――。「ささいなことでも、子どもの変化に気づくことができる。喜びです」
ただ、葛藤もあります。
「いつ『社会復帰』するの?」
男性の母親は、何度も迫ってくると言います。はっきりとは言いませんが、「正社員として働いてほしい」という思いがあるようです。「『男は仕事、女は家庭』のような固定観念が根強いのだと思います」。そうした環境にあって、「無職」が重くのしかかります。
男性の父親は典型的な「仕事人間」だったと言います。そのため、コミュニケーションが取れず、今でもうまく関係を築けません。「そんな親子ではありたくない、という思いもあります」。子どもが保育園に通い出した時は、パートとして働く一方、引き続いて家事や育児を中心的に担いたい。本心ではそう思っています。
それでも、気持ちは揺れます。
男性は、「男は仕事、女は家庭」のような固定観念が社会に根強く、「正社員」であることを求める圧力があると感じます。「子どもが大きくなれば教育費もかさみます。『お父さんが働いていない』ということが、子どもにとってマイナスに作用するかもしれません」
それならば、ブランクがあく前に、正社員の道をめざした方がいいのかもしれない。そんな考えも頭をよぎりながら、日々を過ごしています。
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