連載
#32 #withyouインタビュー
封印した「地獄のような日々」園山千尋さんが漫画で伝えたいこと
園山千尋さんのメッセージ
<そのやま・ちひろ>
1990年、北海道生まれ。高校卒業後、上京して俳優活動を開始。福島中央テレビ「絶景探偵。」や、映画「モダン・ラブ」などに出演。2016年ごろから、漫画家としても活動開始。コミック配信サービスアプリ「Vコミ」(https://vcomi.jp/)で漫画「不登校ガール 学校の階段がのぼれない」を連載中。
――どんな中学校生活を送ったのですか。
元々北海道の田舎のまちに住んでいました。転校するまでの1年半はめっちゃ楽しかったです。昔からイラストやマンガを描くのが大好きで、同じ趣味の友達もいました。お芝居も好きで演劇部に所属して、毎日が楽しかったです。
そんな生活は中2の半ばで終わりました。父の転勤で同じ北海道の都会に引っ越したのですが、新しい学校で全然環境になじめなくて。毎日「消えたい」と思って過ごしていました。
――新しい学校のどういうところになじめなかったのでしょう。
うーん、いまだに何なんだろうと思う。自己紹介で「イラストを描くのが好き」と言うと「マニアック」と言われ、まず大好きな趣味を封印しました。他人の悪口や陰口を言う子も多くて、「みんな○○のこと嫌いだよ」「△△のことは無視して」と「嫌い」を共有しようとする。私は転校生だからその子のことを知らないので同調できない。でも同調しないと自分が嫌われるかもしれないので、周りの反応をうかがいながら、ノリが悪いと思われないようヘラヘラ笑ってました。
私にとって大事だったのは、「話に入れる」ことだったんですね。休み時間にひとりになるのも、体育で2人組を作るよう言われて組む人がいないのも怖い。「なじむためにはとりあえず学校に行き続けなくちゃ」と無理して通う毎日。多少気まずくても「卒業まであと1年半なんだから、何とかなるだろう」と気楽に考えていました。
そうしているうちに、体がついていかなくなりました。夜眠れなくなり、ご飯の味がせずのどを通らなくて残すように。栄養不足からか夜中に足がつるようになって、そのうち学校に行くと目が回り、階段をのぼれなくなっていきました。やがて遅刻を繰り返し、学校を休むようになりました。
――相談できる人はいましたか。
当時母親がうつ病で、心配をかけたくないという思いもあり、家族には話せませんでした。でもそれ以上に、不登校になる理由が、私が苦しい理由が自分でわからなかったんです。
いじめられているわけじゃない。ただ友達との会話についていけないだけで、みんなが出来ていることを出来ないだけでしんどくなるのは恥ずかしいと思っていた。
「行ってきます」と家を出ても、どこにも居場所がありませんでした。制服姿で外にいるとじろじろ見られる。誰もいない自宅マンションの非常階段で泣いていて、気づいたら夕方になっていたことも。非常階段からふと下を見て、「このまま消えられる」と思ったこともありました。毎日消えたかった。でも私が死んだらうつ病で苦しんでいる母も死んでしまう、それはイヤだと思ってとどまりました。
――どこにも居場所がない中で、どうやって1日を過ごしたのですが。
親に「休みたい」と言えるようになるまでは、非常階段が居場所でした。趣味のイラストは心の余裕がなかったので一切描かなかったですね。マンガと違って明確に助けてくれる人は現実世界にはいない。学校を休みつつも時々登校して、地獄のような日々をやり過ごしていました。
学校を休んでいる間は、教室で悪口を言われていないか気になって。1日、1週間、1カ月が本当に長かった。卒業までのカウントダウンが苦痛でした。
――卒業後はどうでしたか。
高校は中学時代の友達がいない学校に進学しました。自分の中で何かを乗り越えたわけでは一切なく、環境が変わって普通に友達ができました。友達ができると心に余裕ができて、またマンガやイラストを描くようになり、役者になりたいという将来の夢も明確になりました。卒業後、バイトしてお金をためて東京に来て、役者としての活動を始めました。
――「耐え抜いた」中学生活でしたね。
そうです、何も解決していません。私自身いまだに逃げ方、乗り越え方がわからない。もう1回あの中学生活を送れって言われたら絶対に無理です。人間ってつらい現実と向き合って少しずつ強くなっていくものかもしれないけど、そんなの、アラサーの今だから言えることですよね。ただじっと耐えて、やり過ごしました。長かったです。
――なぜ経験をマンガにしようと考えたのですか。
漫画家はもう一つの夢でした。バイトをするなら好きなことでと考えて、マンガを描き始めました。
振り返ってみて私は当時、本当に一人だったなと思うんです。一人でも自分と同じ状況の人がいると知っていたら、もうちょっと違う角度で友達関係を築けていたかもしれない。「一人じゃない」と思いたかった。私が経験をマンガに描くことで、いま同じ思いをしている人の安心材料になればと思って描き始めました。
――反響は。
「私もそうだった」「今まさにそんな状況で、しんどい」という声をたくさん頂きます。私が中学生だったころから15年たったのに、今も同じなんだなと。マンガが少しでも救いになっていればと思います。
もちろん「ダメな時はダメって言わないと」「一人でもいいじゃん」って意見もある。ほんとおっしゃる通り。私だって当時の自分の行動に全く自信がないので、描いたものを出すたび「お前が悪いんだよ」と言われるのではと怖くなる。
マンガの構成を考えるために15年ぶりに封印していた過去の記憶と向き合って、改めてあの頃は本当にしんどかったなと思います。ネームを考えながらつらかった日を思い出して泣くこともあります。トラウマだったんですね。
でも、こんなに大人になってもつらい、悔しい過去をほじくり返して向き合って作品にすることで、読んで感想を寄せてくれる人がいる。「私だけじゃなかったんだ」「私も同じだ」と言ってくれる人がいる。その人たちが少しでもホッとして安心してくれるかもしれない。それだけで、あの時消えてしまわなくて良かったと思います。あんなに消えたいと思っていた過去の私に、「よく消えないで頑張ったね。エラいじゃん」って言ってあげたいです。
――いましんどい思いをしている子にメッセージをお願いします。
どうか今の自分をあきらめないでほしい。私が大人になったから言えることなんだけど、半年とか1年とか3年とか、本当に気が遠くなるほど長くて苦しいですよね。私もそうでした。
乗り越えなくて良い、解決しなくて良い。私のマンガだってあくまで私の経験談であって、解決方法じゃない。解決してないけど、環境が変われば、またいろんな人と出会う。視野も広がる。あきらめさえしなければ、将来の自分はきっと「よく頑張ったね、おかげで今があるよ」って今のあなたに言うと思います。
それから周囲の大人にも。子どもがしんどそうにしていたら、原因を探りたい気持ちもわかるけど、ありのままを受け入れる場所を作ってあげてほしい。原因より、子どもがこれからどうしたいか考えられるようになるまで安心できる居場所を作ってあげてほしいです。
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