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広末涼子さんが語った平成「女優になるなら吉本」と言われた中学時代
デビュー当時「ポケベルの子」と言われた広末涼子さんは、まさに平成を象徴する存在です。そんな広末さんですが、地元では「女優になるなら広末は吉本」と言われていたそうです。あのドコモCMについては「謎というか、不思議でしょうがなかった」。広末さんに、デビュー当時の思い出を聞きました。(朝日新聞高知総局記者・加藤秀彬)
――1996年、「広末涼子、ポケベル始める」と流れたNTTドコモのCMで、高知県出身の少女がその名を全国にとどろかせました。
「あのCMで名前と顔を知ってもらったのは間違いない。本当に感謝しかないです。どうしてあんな名前も知られていない、ただの高校1年生の女の子の名前が大きく新聞の広告に出たのか」
「あのコピーはすごくセンセーショナル。このだれも知らない単語を世の中に出すっていうのは私も謎というか、不思議でしょうがなかったです。それでポケベルの子と言われたり、名前で呼ばれたりということがきっかけだったので、すごく運命を感じています」
――バブル崩壊後の1994年に「クレアラシル」のCMでデビュー。その後、阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きました。そんな中、広末には「清純派」「元気」なイメージがついてまわります。
「デビュー直後は、『似ていると言われます』『近くにいそう』とよく言われました。そういう部分ではもしかたら、特別なザ・女優やアイドルではない親近感が受け入れられたのかもしれません。今の女優や若手の女の子を見ていると、やっぱり洗練されています」
「それなのに、私の10代のころは田舎の中学生だから、よくこれで大丈夫だったなと思いますね。自然体でいた結果が、優等生、清楚(せいそ)、という印象になったと思います」
――中学校では陸上部に所属し、走り高跳びの選手でした。
「私はずっとスポーツしかやっていませんでした。ずっと男の子に間違えられていて、『女優になるなら広末は吉本』と言われるようなキャラクターでした」
「知らない第三者の方や大人に接すると、最低限の礼儀とか気遣いは気をつけていました。そういう意味では、清純派だったのかもしれないし。それなりに良い子だったのかも。けど、そこまで良い子なつもりもなかったので、違和感を感じていたのかもしれません」
「清純派と言われることが嫌だとか、反発するような気持ちはなかったです」
――小学生時代から、テレビの向こうの世界にあこがれていたそうですね。
「女優さんには物心がついたときからなりたいと思っていました。みなさんが花屋さん、ケーキ屋さんになりたいと言っているときから女優さんになるのが夢で、不思議と迷いはありませんでした」
「歌番組などのテレビが大好きで、高知では民放が二つしかなかったので、東京の親戚に番組のビデオテープを送ってもらっていました。小学生の時は、女優では浅野ゆう子さん、浅野温子さん、宮沢りえさん、後藤久美子さん。歌手は中山美穂さん、小泉今日子さん、みなさんのすごくきらきらした姿をブラウン管を通して見ていました。『20年後の私』という作文では、女優さんになっている設定で文章を書いていました」
「周りがそれをどう思っていたかはわかりません。中学2年生で初めてオーディションを受けたときも、芸能界に入ってからも、これほどとんとん拍子にここまで実現するとは、両親ですら思っていなかったと思います。友達は応援も批判もなく、夢の世界だと思っていたと思います。迷ったりちゅうちょしたりという時期はありませんでした」
――デビューから3年後には「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビュー。NHK紅白歌合戦にも出場するなど、活躍の場を広げた。
「(すぐに脚光を浴びたことにも)戸惑いはありませんでした。そういうものだと思って飛び込んだので。もしオーディションに受からない時期があったり、他のお仕事をしていたりしたら違ったかもしれません」
「人に知られることも、寝る時間がないことも、たくさん求められて応えなければいけないことも、それが当たり前だと思っていました。夢に思い描いた通りでした」
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広末涼子(ひろすえ・りょうこ)1980年、高知市生まれ。94年、クレアラシルのCMでデビュー。97年、「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビュー。「鉄道員」「おくりびと」「ゼロの焦点」など数々の映画やドラマに出演した。
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