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贈り主は『ふなっしー』 南三陸町にミシン、ブレイク前から続く支援
津波で甚大な被害にあった宮城県南三陸町。そんな町にある工房にまもなく、1台のミシンが届きます。
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津波で甚大な被害にあった宮城県南三陸町。そんな町にある工房にまもなく、1台のミシンが届きます。
津波で甚大な被害にあった宮城県南三陸町。そんな町にある工房にまもなく、1台のミシンが届きます。贈り主は人気キャラクター「ふなっしー」です。大ブレイクする前からグッズ製作を依頼し、復興支援を続けてきました。受け取った工房の代表とふなっしーに話を聞きました。
今月16日、「南三陸ミシン工房」のツイッターアカウントが、こんなつぶやきを投稿しました。
添付されている画像には、ふなっしーのシールが貼られたミシンが写っています。こちらは現在稼働している唯一の刺繍ミシンです。
この投稿に対して、「ふなちゃんのお陰でお手伝いできたのであればとても幸せ」「目から梨汁が」「暖かい心に泣ける」といったコメントが寄せられており、リツイートは3千、いいねは6千を超えています。
【お知らせ】
— 南三陸ミシン工房 (@mishinkoubou) 2018年5月16日
此のたび、ふなっしーから、刺繍ミシンをご寄付頂くことになりました。
ミシンの購入代は、最新DVD「ふなのみくす4」の収益から充ててくださるそうです。既存の1台だけでは量産も心もとなく不安だったのですが、これで安心して作業を続けられます。ふなっしーとファンの皆さんありがとう pic.twitter.com/ediZ3DkXrU
南三陸ミシン工房ができたのは、東日本大震災が起こった後の2011年秋。
被災した女性たちと、彼女たちを支えるボランティアが、支援物資のミシンを仕事や生きがいにしていくために立ち上げました。
縫製工場に勤めた経験を生かして働きたいという人もいれば、震災後の心のよりどころとして活動に参加した人もいます。
「最初のうちはいいかもしれないけど、しょせん『ごっこ』でしょ」と言われたこともありましたが、現在も10人が縫製作業をしています。
代表理事の熊谷安利さんは、こう話します。
「なにもすることがなくなり、『自分は生きていていいのか』と自問するようになった時、支援でもらった小さな家庭用ミシンで世の中とつながりました。ミシンが『生きていていいんだ』と思わせてくれる魔法の道具になりました」
受注した製品やオリジナル商品の製作を重ねるうちに、東京のアパレルメーカーからの小物縫製の仕事も定期的に入るようになりました。
ふなっしーのオフィシャルグッズの生産を始めたのが2013年。大ブレイクを果たす前のことでした。
「ふなっしーの『毎月仕事をお渡しします』という言葉が魅力的で、悪戦苦闘しながらぬいぐるみを生産しました。ブレイクしてテレビでふなっしーを見ることが多くなり、びっくりしながら誇らしい気持ちで縫製を続けていました」
2015年からはライセンス生産が可能となり、工房が自ら生産・販売を手がけることに。
主力商品は「分身ふなっしー」。高さ約23cm、横約19.5cmのぬいぐるみで、売り上げの一部は震災遺児を支援する基金に寄付しています。
分身ふなっしーを作るのに必要なのが、刺繍ミシンです。
当初は寄贈された家庭用のものを使っていましたが、量産化するために2015年、クラウドファンディングに挑戦。
目標額を上回る資金調達に成功し、業務用の刺繍ミシン1台に加えて、エアコンなども購入できました。
それから3年が経ち、今年2月にふなっしーが工房を訪問。何か必要なものがないか尋ねられた熊谷さんは、こう答えました。
「稼働している刺繍ミシンは3年前に購入した1台だけ。もっと分身ふなっしーを量産できるように、もう1台ほしい」
ふなっしーの最新DVDの収益をもとに、ミシンを寄贈することが決まりました。
熊谷さんはこう話します。
「多くの方に支援していただいて、ここまで続けることができました。3年、5年の節目で支援を終えられる方もいる中で、ふなっしーは長く続けるための仕組みを考えて、継続的に助けてくれています。本当に感謝しています」
支援を続けるふなっしーは、どう考えているのか? 尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。
「本当に大変な災害に遭われた南三陸の皆さんが力強く前へと進む姿に心打たれましたなっしー。それを何か支援出来ないかと思ったなっしなー。これからもふなっしーを応援してくれているみんなと一緒に背中を押し続けたいと思うなっしー♪」
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