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椎名林檎「いつも死を意識」「子ども5、6人産む」 5年半ぶり新作
椎名林檎が5年半ぶりのソロアルバム「日出処」を出し、ロングインタビューに応じました。独特の死生観から女の性(さが)まで生々しく語りました。
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椎名林檎が5年半ぶりのソロアルバム「日出処」を出し、ロングインタビューに応じました。独特の死生観から女の性(さが)まで生々しく語りました。
神庭 亮介
共同編集記者 ――林檎さんの主張は一貫していて、10年以上前のインタビューでも「死ぬことにほんとに向き合うことを、常日頃、何かと自分で考えられる人間に自分がなりたくて」(2003年2月25日、「ロッキング・オン・ジャパン」)と発言しています。また、楽曲を通じても「今この一瞬を生きろ」というメッセージを、発し続けてきたと思います。「ギブス」の「明日のことは判らない」という歌詞然り、東京事変「閃光少女」の「今日現在(いま)が確かなら万事快調よ」というフレーズ然り。
仏教的な考えのもとに生きていたら、誰でもそうなんじゃないですかね。この間、英語圏の人とメールでやり取りをしていて、約束をしたんです。「本当にお目に掛かれたらうれしいです。ではその日に」って書いたら、「まだ会えない可能性があるのですか?」って返ってきて。あ、この言い方ってすごく日本的なのかなと。
それに対して「もちろん、必ず約束の時間に会いに行こうと思います。お互い無事に、事故や災害などにも遭わずに、お目に掛かれたら特別にうれしいことだと思ってそう書きました。日本ではそういう言い方をします」と書いたんです。そうしたら、「なぜそんな不吉なことをメールに書くのか」って。
このことを不吉だとおっしゃるのは、外国の文化の人だと思うんです。日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。自然なり、色んな過去のもとで生かされている、生かしていただいている。だから、いつでもすぐ横に死がある、という意識を持っているのが通常だと思うんですよね。
――アルバムの「日出処」というタイトルは、一連の騒動を逆手にとった確信犯なのでしょうか。
そういう風にお思いになる方がいても、おかしくないなとは思うんですけどね。意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです。
それこそ、「三島は右だから読まない」とか何とか言いたがる人物、言いたがるお年頃というのがあると思うんです。「ああ、2枚目以降売れちゃったからな。わかりやすくなっちゃったよね」とかいちいち言いたがる、路地に入りたがるっていうか。私はそうじゃないし、「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている。
だから「駅前通り」とか「目抜き通り」というタイトルでも良かったんだけど、都市や文明だけじゃなくて、自然も仲間に入れたところで、何て言おうかなと。「陽の当たる場所」でも良かったし……。ただ今、世の中にどんよりとした雰囲気があるでしょう? 「陽の当たる場所」ぐらいの優しい言い方だと、想起してほしいイメージと違うなって思って。もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました。
――それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか。
場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです。
――個別の曲についてもお伺いしていきます。2曲目の「自由へ道連れ」は疾走感があって、ライブで盛り上がりそうですね。
それも、ドラマ(TBS系「ATARU」)のタイアップのお話をいただいて、イメージして書きました。もうすぐ年女になるな、と思って同い年の人ばっかり集めて録ったんです。《※林檎はうま年で今年の年女。同曲の録音は2012年》
――3曲目「走れゎナンバー」は、自分の肉体をレンタカーに見立てた歌詞が興味深いです。「ゎ」と小文字になっているのはギャル文字的なイメージでしょうか。
そういう風に書く人いますね……。えっ、ナンバープレートの平仮名って小文字っていう認識ないですか?
――すみません。なかったです。
えっウソ! 私だけ? なんか小文字だと思ってた、ずっと。
――確かに、ほかより一回り小さいかもしれません。
そう、粒っとしてるから。ずっとそう思ってましたけど、違うのかな……《※国土交通省によると、ナンバープレートの平仮名の大きさは道路運送車両法施行規則で定められている。数字よりは小さいが、小文字というわけではないという》。
――昔から歌詞に固有名詞が多く出てきますよね。「走れゎナンバー」には「iPhone」という言葉が、1曲目の「静かなる逆襲」には「TSUTAYA」や「STARBUCKS」が登場します。
昔からね。「マーシャル」とか《※マーシャルはアンプのブランド。「丸の内サディスティック」の歌詞に登場》。
――どういう意図が込められているのでしょう。
多分、固有名詞を外す方が意図的なんじゃないですかね。昔からそう思ってます。「静かなる逆襲」でも歌っているけど、あまり公平さみたいなものを意識するのっておこがましいような気がして《※「平等な関係、平等な姿勢 できていると言い張れる奴ほど疑わしい」という歌詞がある》。えこひいきと言えばえこひいきなんでしょうけど、個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう。
もちろんタイアップとれなくなりますよ。NHKで演奏できなくなるとか、そういうことがあったとしても具体性がなくなるのはつまんないな、と思っちゃいますね。
――確かに「歌舞伎町の女王」でも「丸の内サディスティック」でも、ここにしかないものや場所が出てくると、心に引っかかりますよね。
より多くの人と共有するためには、そういうのは外しましょう、という人もいるんですね。作詞のメソッドとしては。みなさんそうおっしゃいますね。だってイギリス人にも認めさせたいじゃん、みたいな。でも私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。