話題
巨人と阪神の応援歌、実は同じ人が作曲 5千曲作った古関裕而とは
プロ野球CSで対決する巨人と阪神。実は両球団の応援で歌われる「闘魂込めて」、「六甲おろし」ですが、実は同じ人が作曲しています。生涯で約5千曲を残した「昭和の行進曲王」こと古関裕而さんです。
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プロ野球CSで対決する巨人と阪神。実は両球団の応援で歌われる「闘魂込めて」、「六甲おろし」ですが、実は同じ人が作曲しています。生涯で約5千曲を残した「昭和の行進曲王」こと古関裕而さんです。
15日から始まるプロ野球クライマックスシリーズの最終ステージ。
日本シリーズ進出をかけて、セ・リーグは1位・巨人が、2位・阪神を迎えます。
「伝統の一戦」と呼ばれる両球団の対戦。ファンの中には応援するチームを愛するがあまり、相手チームの応援歌を聞くだけで思わず顔をしかめる方もいるかも。しかし、球場で歌われる巨人の「闘魂込めて」、阪神の「六甲おろし」の両曲ですが、実は同じ人が作曲しています。
生涯で約5千曲を残し、1964年の東京五輪では「オリンピック・マーチ」の作曲も手がけ、「昭和の行進曲王」と呼ばれる古関裕而さん(1909~1989)です。
古関は1909(明治42)年、福島市の呉服屋の長男として誕生。音楽好きだったという父が使用人の娯楽のため、当時は珍しかった蓄音機を購入。子どものころ、古関は蓄音機にかけられたレコードをBGMに、その横でよく絵を描いていたという。これが「音楽との出会い」だったと自伝で振り返っている。
小学校に入ると、古関の音楽熱は高まり、級友が書いた詞に曲を付けるようになる。そんな古関に、母親は卓上ピアノをプレゼント。古関の作曲は、ますます本格化していった。
古関は福島商業学校(現・福島商高)を卒業後、地元の銀行に就職。さらに音楽活動に熱中し、童謡「赤とんぼ」などで知られる、あこがれの作曲家・山田耕筰に自身の作品を送り、手紙をやりとりするように。
1930(昭和5)年には、日本コロムビアと専属契約を結ぶが、実は当時コロムビアの顧問だった山田の推薦があったことを後年知ったという。翌年、知人を通じて早稲田大学の応援団から依頼を受けて、作曲した応援歌「紺碧の空」が評判になり、作曲家としての古関の名が知れ渡るようになる。
古関が生涯で残した曲は、約5千曲に上る。戦前、戦中は「暁に祈る」「若鷲の歌(予科練の歌)」など軍歌や戦時歌謡でヒット曲を出し続けた。
戦後は「鐘の鳴る丘」「君の名は」など連続ラジオドラマの主題歌、「長崎の鐘」など多くの人に愛される歌謡曲を送りだし、ザ・ピーナッツが歌った「モスラの歌」も手がけている。
そんな古関だが、楽器を使わずに五線紙とペンだけで作曲していた。「五線紙に向かうと、いつも新しい音楽がとび出してくる」と自伝で語っている。
1935(昭和10)年、阪神の前身である「大阪野球倶楽部(大阪タイガース)」が創立。早速、日本コロムビアに応援歌制作の依頼があり、古関が作曲したのが、現在の「六甲おろし」だ。正式名称は「大阪タイガースの歌」(当時)。その後、歌われる機会はあまりなかったが、阪神が日本一に輝いた1985年に一気に広まり、以降はホーム、ビジター問わず、勝利後にファンが歌うのが定番になった。
歌詞は、1961年に球団名変更で、「大阪タイガース」の部分が「阪神タイガース」に変更されたが、古関自身は変更前の歌詞、特に「♪オウ、オウ、オウ、オウ、大阪タイガース」の部分に愛着があったようだ。
1963(昭和38)年には、巨人が創立30周年を迎えたのを記念し、古関が手がけたのが「闘魂こめて」だ。
この年、川上哲治監督率いる巨人は、西鉄ライオンズ(現西武)を破り、日本一に輝いた。
ちなみに「闘魂こめて」は、3代目の「巨人軍の歌」にあたり、古関は初代の球団歌も手がけている。
夏の高校野球の大会歌として親しまれている「栄冠は君に輝く」(全国高等学校野球大会の歌)も古関の作品だ。
戦後間もない1948(昭和23)年、大会名が現在の全国高校野球選手権大会と改められたのを機に、朝日新聞社と日本高校野球連盟が歌詞を公募し、曲は古関に依頼した。
古関は大阪に足を運び、藤井寺球場で予選大会を見学。その後、実際に甲子園のマウンドに立ち、試合の様子を思い浮かべたところ、自然にメロディが湧いてきたと振り返っている。
一般応募された詞は、全国から集まった5252編の中から、当時34歳だった石川県根上町(現・能美市)の加賀大介(1974年死去)の作品が選ばれた。ただ加賀は婚約者の名前で応募したため、本当の作詞者が明らかになったのは20年後だった。
「栄冠は君に輝く」について、古関は後年、加賀が作った歌詞を称賛し、自身の「会心作の一つ」と振り返っている。
古関が亡くなったのは、1989年8月18日。ちょうど夏の高校野球の開催期間中だった。翌日19日の第3試合の開始前にスコアボードに訃報が掲示された。その後、場内には「栄冠は君に輝く」が流れ、約4万人の観客が古関をしのんだ。
古関さんが亡くなってから四半世紀が過ぎました。クライマックスシリーズに出場する選手の中には、藤浪晋太郎投手(阪神)ら古関さんの死後に誕生した選手もいます。しかし、古関さんが生み出したメロディは、これからもファンに歌い継がれ、選手たちの気持ちを奮い立たせ続けるはずです。
「伝統の一戦」にふさわしい好ゲームを期待しましょう。(本文敬称略)
参考文献:「鐘よ鳴り響け―古関裕而自伝」(主婦の友社、1980年)