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エンタメ

谷中初音町さんからの取材リクエスト

太宰治「帰去来」の冒頭が、吉田拓郎の「今日までそして明日」にそっくり。真相を深堀り願います。



【お答えします】吉田拓郎さんは、太宰治をパクったと言えるのか?

漫画家・松本零士さんがシンガーソングライター槇原敬之さんの詞を著作権侵害だと主張した件で、槇原さん側が侵害の不存在と名誉毀損で訴えた事件の判決に準じれば、パクリとはいいにくいでしょう。

出典: imasia

目次

【質問】これはパクリではないのですか?

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取材リクエスト内容

太宰治「帰去来」の冒頭の文章が、吉田拓郎の「今日までそして明日」の歌詞と心情がそっくり。
吉田拓郎は、太宰治をパックている。
真相を深堀り願います。

太宰治の「帰去来」の冒頭の文章
人の世話ばかりなって来ました。
これからも、おそらくは、そんな事だろう。
みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で
生きてきました。
これからも、やはり、のほほん顔で、生きていくかも知れない。

吉田拓郎の「今日までそして明日」からの歌詞
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
谷中初音町

記者がお答えします!

太宰治「帰去来」の冒頭の文章が、吉田拓郎の「今日までそして明日」の歌詞と心情がそっくり。
吉田拓郎は、太宰治をパックている。
真相を深堀り願います。

太宰治の「帰去来」の冒頭の文章
人の世話ばかりなって来ました。
これからも、おそらくは、そんな事だろう。
みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で
生きてきました。
これからも、やはり、のほほん顔で、生きていくかも知れない。

吉田拓郎の「今日までそして明日」からの歌詞
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
谷中初音町

槇原敬之さん対松本零士さんの裁判

 槇原敬之さんの歌「約束の場所」の「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」という一節について、漫画家の松本零士さんが「銀河鉄道999」のセリフ「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」の盗用だと主張、槇原さん側が名誉毀損などで松本さんを訴えた裁判があります。この裁判では例えば、「決して裏切らない」と「裏切ってはならない」は、表現として「相当異なる」(判決215ページ)などとして、盗用とは認めませんでした。

著作権法は「アイデア」は保護しない

出典:imasia

 著作権の最も基本的な考え方として、保護するのは表現であって、アイデアは保護しない、というものがあります。例えば、「主人公1人に3人(3匹)のお供が付き添って旅をする」という設定は、「西遊記」や「桃太郎」など古くからある物語のアイデアで、今でも同様の作品はたくさん作れます。「西遊記」も「桃太郎」も著作権はとうの昔に切れています。しかしこうしたアイデアが著作権法上保護されるとした場合、誰かが同じように「主人公+お供3人」というお話を新作として書いてしまったら、その作品の著作権が切れるまで、同じような設定のお話は書けないことになります。実際には、著作権法ではアイデアは保護しないため、そのような問題は起きません。

はたしてパクリといえるのか

出典:imasia

 二人の作品を比較してみましょう。

 「人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかも知れない」(太宰)

「わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力を借りて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと」(吉田拓郎)

 まず、用語として完全に共通しているのは「生きて行く」だけです。また「生きて来ました」「生きてみました」は一見すると似ていますが、表現も意味も異なります。また「人の世話にばかりなって」「みんなに大事にされて」「のほほん顔で」という太宰に対して、吉田拓郎は「だれかの力を借りて」「だれかにしがみついて」と歌います。この点は表現も内容も全く違うと言っていいでしょう。

 そして最後に「これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかも知れない」(太宰)と「明日からも こうして生きて行くだろうと」(吉田)となりますが、これはたしかに「今まで通り、これからも生きていくだろう」という意味は共通しています。しかし、こうした表現はきわめてありふれたもので、この程度のことが剽窃や盗用とされたら、おそらく誰も文章表現ができなくなるでしょう。

著作権侵害を主張できるのは著作権者だけ

 著作権侵害には刑事罰がありますが、親告罪のため、被害者の告訴なしには提訴できません。また、民事裁判は基本的に当事者が起こすものです。従って、太宰治作品の著作権継承者(多くの場合は遺族)が主張しない限り、著作権侵害という訴えは刑事・民事とも起こせません。著作権継承者が訴えていないものを著作権侵害と主張するのは無理がありそうです。

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