天気予報が消えた3年8カ月 「復活の日」の新聞は?
1945年8月23日の朝日新聞。戦争に関する記事が並ぶ中、この日から天気予報が復活しました 出典:朝日新聞社
現代の天気予報と比べるとかなり簡単なものですが、関東地方の「けふの天気」が紹介されています 出典:朝日新聞社
「天気予報復活の第一報」として、台風への警戒をよびかける記事もありました 出典:朝日新聞社
関東大震災の被害状況を知らせる中央気象台の掲示板。初期の天気予報はこうした掲示板に掲載されていたそうです 出典:朝日新聞社
京都の宮津測候所に勤務していたころの増田善信さん(左から3人目) 出典:本人提供
1944年10月、海軍に入隊した後の増田さん(後列左から4人目)。航空機の出撃に必要な天気図の作成が仕事だったと言います 出典:本人提供
1941年12月10日、日本軍の航空機の攻撃を受けるイギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」(下)と巡洋戦艦「レパルス」。航空機を使った作戦に気象情報は不可欠でした 出典:朝日新聞社
「黒い雨」の調査について語る増田さん。増田さんの論文は、より広い被爆者認定につながる原動力の一つになりました 出典:朝日新聞社