もっと作品が残っていたら… ハンセン病患者たちが描いた絵画の行方
「長島のゴッホ」と呼ばれた男性が小学生の時に描いた絵。男性はハンセン病と診断され、11歳のときに生まれ育った大阪を離れて、ひとり長島愛生園(岡山県)に入所しました
2024年2月、85歳で亡くなった山村昇さん=2023年6月、長島愛生園(岡山県瀬戸内市)、山本悠理撮影
長島愛生園で「長島のゴッホ」と画才をたたえられた入所者・山村昇さんの絵。10枚ほど描いたが、唯一手元に残った作品という=2023年6月、山本悠理撮影
国立療養所多磨全生園の入所者だった国吉信さんの絵=国立ハンセン病資料館提供=。全生園に植わっている桜並木の下で、園外から花見を楽しみに来たと思われる家族の姿を描いたものだという。「ついに家族を持つこと
国立療養所多磨全生園の入所者だった国吉信さんの「タブローのための下絵」=国立ハンセン病資料館提供
国立療養所多磨全生園の入所者だった瀬羅佐司馬(せら・さじま)さんの自画像=国立ハンセン病資料館提供
展示について解説する吉國元学芸員=2024年3月、東京都東村山市の国立ハンセン病資料館、山本悠理撮影
「多磨全生園絵画の100年」の展示会場。100点を超える入所者たちの絵画作品などが並ぶ=2024年3月、東京都東村山市の国立ハンセン病資料館、山本悠理撮影
膨大な数の金陽会の作品を、保存に向け一点ずつ調査した=藏座江美さん提供
9月29日まで青森県内で開催中の「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」の一環として、国立療養所松丘保養園(青森市)の会場に、金陽会メンバーの作品などが展示されている=藏座江美さん提供