オリーブの森で描き続けたルノワール ナカムラクニオの美術放浪記
樹齢500年以上というオリーブの森を、伐採から防ぐために購入。亡くなるまで、ここで絵を描き続けたルノワール 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
陶磁器の町リモージュに生まれ、13歳で磁器の工房に入り、絵付け職人となったルノワール 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
磁器の絵付け職人だったルノワール。晩年も、美しいものに囲まれて、好きなモチーフを描き続けました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
参院の小京都と呼ばれる、島根の津和野。高台から街を見下ろすと、安野さんの絵の世界が広がっていました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
漆喰の白壁が連なる城下町、津和野。安野さんの世界に浸ることができます 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
上がっても上がっても、いつの間にか下がってしまう――。そんな安野光雄さんの「ふしぎなえ」に没頭しました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
ボストン美術館には、新しく「天心庵」という石庭が作られ、「茶」を伝えた岡倉天心の業績が讃えられていました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
「東洋美術の殿堂」と呼ばれるボストン美術館 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
「東洋美術の殿堂」と呼ばれるボストン美術館があるボストンで、岡倉天心は日本文化を多くの人に伝えました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
「引っ越し魔」だったゴッホ。ヨーロッパの各地で見た風景、文化、習慣などを巧みに絵画に取り込みました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
1888年10月から共同生活をしたゴッホとゴーギャン 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
画家の共同体(ユートピア)を作るという夢があったのだ。 そして、先輩の画家であるゴーギャンを迎えるため、部屋を飾る絵として「ひまわり」を描き始めた。ひまわりは連作で7作品完成しました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
輪島から美しい棚田「千枚田」を抜けて、山道を走ること30分。石川県、能登半島北部の旧「柳田村」に到着する 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
木地師(きじし)の信仰を集め500年以上の歴史を持つ「福正寺」 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
石川・奥能登の幻の漆器「合鹿椀(ごうろくわん)」。ナカムラクニオさんは自宅でも復刻した器を使っているといいます 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
久高島に通って、12年に1度、4日間にわたり執り行われていた秘祭イザイホー。今後は伝承されるのでしょうか 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
「久高島の酋長」と呼ばれ、貴重な島の歌を伝えていた西銘徳夫さんも数年前に亡くなってしまった 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
《太陽の塔》で知られる芸術家、岡本太郎(1911-1996)。イザイホーを取材していたといいます 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
長野県の諏訪湖周辺に4か所ある諏訪大社。巨木を祀る「御柱祭」で知られている 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
樹齢200年の巨木16本が諏訪大社の四隅に祀られる。神霊の「依り代」として大きな柱を立てるという行為は、世界共通の感覚なのだろう。 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
縄文時代から人びとを魅了してきた黒曜石。ひんやりとして透き通っている。まるで黒い水たまりのようだ 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
パラダイスシティにそびえ立つKAWS(カウズ)の作品 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
朝鮮王朝の王宮「景福宮(キョンボックン)」 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
アートの街へと変貌した韓国・ソウル。ザハ・ハディドが設計したDDP(東大門デザインプラザ)も見逃せないといいます 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
1954年11月3日、心臓発作のため84歳で他界した画家アンリ・マティスの墓は、ニースの北に位置するシミエ修道院にあります 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
驚くほどシンプルなアンリ・マティスの長方形の墓石。 その上には、小石が積まれていました。 出典:ナカムラクニオの美術放浪記
20世紀を代表するフランスの画家・アンリ・マティス(1869-1954)。「色彩の魔法使い」と呼ばれ、純粋な色彩による絵画様式「フォーヴィスム(野獣派)」を生み出しました 出典:ナカムラクニオの美術放浪記