ダイビングで人気の伊江島が経験した死闘「六日戦争」戦跡に残る爪痕
近づいてきた伊江島。城山を除くとほぼ平らな地形です=2022年3月、水野梓撮影
島の中心部にある公益質屋跡。補強されて残り、当時の戦闘の激しさを物語ります=2022年3月、水野梓撮影
城山のふもとの展望台に立つ新里さん。77年前、沖縄本島までの海をアメリカ軍の軍艦が埋め尽くし黒々としていました。その様子を思い浮かべ、「伊江島を描こう」と決めたそうです=2022年3月、水野梓撮影
軍官民が一体となった伊江島の戦い=新里さんのマンガ『死闘伊江島戦』より
150人が亡くなったガマの前で手を合わせる新里さん。ゴルフ場のそばに残っています=2022年3月、水野梓撮影
島には今も米軍演習場基地があり、島の北西側は立ち入り禁止になっています
島西部のアメリカ軍補助飛行場跡地。伊江島は日本軍にとってもアメリカ軍にとっても、戦略的に重要な場所でした=2022年3月、水野梓撮影
2019年に外壁などが塗り直された団結道場。基地のそばに建ちます=2022年3月、水野梓撮影
77年前の住民や米軍の服、生活用品、薬莢(やっきょう)などが展示されているヌチドゥタカラの家。阿波根さんの録音解説も聞けます=2022年3月、水野梓撮影
反戦地主の平安山良有さん。2年ぶりに島に戻ると、家も畑もありませんでした。ゼロから畑を耕しましたが、その土地も接収の目に遭います=2022年3月、水野梓撮影
島の西側では、畑やヤギ小屋のすぐそばに基地のフェンスがあります。立ち入り禁止との看板が掲げられていました=2022年3月、水野梓撮影
「過去を忘れる者は もう一度それを繰り返す」という言葉が胸に刺さる、ヌチドゥタカラの家の展示=2022年3月、水野梓撮影
戦時中は1000人が避難したともいわれる伊江島のニャティヤ洞(千人洞)。現在は持ち上げると子宝に恵まれるという「力石」があり、観光スポットになっています=2022年3月、水野梓撮影
1947年ごろまで島の玄関口となっていた浜辺。戦に出かける兵士もここから旅だったといいます=2022年3月、水野梓撮影
島のどこからでも見える城山。中腹にある展望台からは島の中心部が見下ろせます=2022年3月、水野梓撮影
第502特設警備工兵隊出撃之地。飛行場の整備・保守が主な任務で武器もほとんどありませんでしたが、孤立し、竹やりや手投げ弾で米軍に斬り込みをかけました=2022年3月、水野梓撮影
終戦を知らず、2人の日本兵が木の上に身を潜めて生活していたというニーバンガズィマイル。深夜に降りて食料などを調達したそうです=2022年3月、水野梓撮影
伊江島オリジナルの品種も展示されているハイビスカス園。5月半ばごろまで見頃といいます
伊江島でつくられているラム酒の蒸留所。事前に申し込めば見学も可能です
グルメもおいしい伊江島。役場近くの「すずらん食堂」では沖縄そばやラフテーも味わえます