双葉町「帰還」めざす住民が目の当たりにした現実
レプリカでの展示となった原子力PR看板。文字のパネルは光沢があった=2021年10月18日、福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館、福地慶太郎撮影
レプリカになった原子力PRの看板を見つめる標語考案者の大沼勇治さん=2021年10月18日、福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館、福地慶太郎撮影
処分する仏壇を、東京電力の社員たちがブルーシートで包む様子を見守る大沼勇治さん(手前左)=2021年10月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
双葉町の自宅に残していた仏壇に花を供える大沼勇治さん=2021年10月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
自宅を残すと決めた思いを語る大沼勇治さん。「ハウスクリーニングはこれからだから」と、一緒に土足で入った=2021年10月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
「まどか保育園」の園庭にある遊具は、生い茂る雑草に包まれていた=2021年10月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
まどか保育園の前に立つ園長の松本洋子さん。敷地内には雑草が生い茂っていた=2021年10月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
まどか保育園の教室には、園児たちのバッグが散乱したままだった=2021年10月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
イルミネーションの前で写真を撮る人たちの姿も=2021年12月10日、JR双葉駅前、福地慶太郎撮影
ペーパーランタンを見つめる子どもの姿もあった=2021年12月10日、JR双葉駅前、福地慶太郎撮影
点灯式では、避難中の町民らがつくったペーパーランタンにも明かりがともされ、「復興祈願」の文字が入ったものもあった=2021年12月10日、JR双葉駅前、福地慶太郎撮影
愛犬を抱く谷津田陽一さん=2022年1月14日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
自宅に飾られた競輪選手時代の写真を背に当時を振り返る谷津田陽一さん=2022年1月14日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
震災前は、自宅敷地内の屋内練習場でプロ競輪選手を目指す若手を指導していた谷津田陽一さん。今後は自分が体を動かす場所にしたいという=2022年1月14日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
谷津田陽一さん(右)の自宅を訪れ、言葉をかわす大沼勇治さん=2022年1月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
谷津田陽一さん(左)から自転車をプレゼントすると言われ、大沼勇治さんは驚いていた=2022年1月18日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
愛犬とともに避難先から自宅に戻った谷津田陽一さん=2022年1月20日午前、福島県双葉町、小玉重隆撮影
報道陣の取材に答える双葉町の伊沢史朗町長=2022年1月20日午前、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
電気と水道が復旧したばかりの自宅に伊沢史朗町長(右)を案内する大沼勇治さん=2022年1月20日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
妻子との準備宿泊に向けて、自宅に布団を運ぶ大沼勇治さん=2022年1月26日午前、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
妻子との準備宿泊のため、家電や食料品を自宅に運んだ大沼勇治さん=2022年1月26日午前、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
息子たちを案内するため、事前に空間線量率を測定する大沼勇治さん=2022年1月26日午後、福島県双葉町の鴻草地区、福地慶太郎撮影
大沼勇治さんは、「帰還困難区域」に指定され、バリケードで門をふさがれた家が並ぶ地区を歩きながら空間線量率を測定した=2022年1月26日午後、福島県双葉町の鴻草地区、福地慶太郎撮影
自宅の窓から双葉駅のほうをながめる大沼勇治さん親子=2022年1月29日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
妻と息子たちと自宅前に、「思い出」の花言葉を持つパンジーを植える大沼勇治さん(左)=2022年1月29日、福島県双葉町、小玉重隆撮影
大沼勇治さん家族が植えた色とりどりのパンジー=2022年1月29日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
鴻草地区を歩きながら妻と息子に話しかける大沼勇治さん=2022年1月29日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
崩れたままの家が並ぶ鴻草地区を歩きながら妻と息子に話しかける大沼勇治さん=2022年1月29日、福島県双葉町、小玉重隆撮影