満州事変や満州国を間近で見続けた101歳の先川祐次さん
先川祐次さんは今も、ケネディ大統領暗殺時の特別号外を大切に保管している=2021年9月16日、福岡市西区、三浦英之撮影
中東取材中、イラク・バグダッドで子どもたちと一緒に記念写真に収まる先川祐次さん(先川さん提供)
和歌山で摘発された阿片の密輸事件を報じる1946年3月15日付の朝日新聞の記事=三浦英之撮影
満州事変の夜を語る101歳の先川祐次さん=2021年9月16日、福岡市西区、三浦英之撮影
今からちょうど100年前。1歳のころの先川祐次さん 出典:先川祐次さん提供
小学校時代の記念写真。最後列で鉛筆で薄く矢印で示されているのが先川祐次さん 出典:先川祐次さん提供
1945年7月、徳島連隊時代の先川祐次さん=先川さん提供
建国大学の正門。日本国旗と満州国旗がそれぞれ掲げられている(建国大学同窓会提供)
五民族の学生が混じり合って勉強をする建国大学第1期生。制服を着ていることから、PR用として撮影されたとみられる(建国大学同窓会提供)
建国大学の門の前で仲良く肩を組むロシア人学生と中国人学生(建国大学同窓会提供)
建国大学での食事風景(建国大学同窓会提供)
塾生活の風景。寝場所として1人1畳が与えられ、異民族の学生同士が隣り合うよう配置されていた(建国大学同窓会提供)
語学大会で講評する登張信一郎教授(建国大学同窓会提供)
官舎に押しかけた学生たち(建国大学同窓会提供)
満州国の首都・新京(現・長春)の駅構内(建国大学同窓会提供)
中国・熱河省(現在の河北省北部)の朝陽城外に到達した関東軍=1933年 出典:朝日新聞社
満州事変の発端となった柳条溝(柳条湖)の南満州鉄道爆破現場。日本兵の案内で記者が訪れた=1931年撮影 出典:朝日新聞社
「満州事変」のきっかけになった爆発があったといわれる奉天(現在の瀋陽)・柳条湖付近の満鉄線路を調べるリットン調査団=1932年撮影 出典:朝日新聞社
日本軍に占拠された奉天軍(中国軍)の兵営、北大営に残った激戦を物語る弾痕=1931年 出典:朝日新聞社
日本人商店が軒を並べる奉天満鉄附属地のメーンストリート=1932年ごろ撮影 出典:朝日新聞社
多くの人が行き交う奉天(現・瀋陽)の繁華街=1934年 出典:朝日新聞社
関釜(かんふ)連絡船として下関と釜山間を運行していた金剛丸=1936年、山口県下関市 出典:朝日新聞社
真珠湾攻撃でハワイ軍港の上空を飛ぶ日本海軍機 出典:朝日新聞社
満州国の政治中枢機関、国務院庁舎の貴賓室。同盟通信社の配信
新京の満州国国務院は日本の国会議事堂を参考にして建造された。その前のリンクで思い思いにスケートを楽しむ人たち 出典:朝日新聞社
極寒のハイラルで凍った水運搬車=1940年 出典:朝日新聞社
終戦直後、国内インフレ防止のため海外からの引揚者から預かり、門司税関に保管した紙幣・證券。満州中央銀行券、満州儲蓄債券、満州電信電話株式会社株券などもある。約6700人分を保管している=1984年撮影 出典:朝日新聞社