凶作の農村・疎開場所・巨大給食室…写真で見える、昭和の「共食」
1934年12月、東北地方の農民の食事風景。厳しい冷害に見舞われ、稲は凶作となり、農民は飢饉にひんした。腹を満たすため、屑米に大根葉の食事をする岩手県の家族 出典:朝日新聞
1936年 香川県仲多度郡善通寺町の遍路宿でそろって座り、夕食をとる巡礼さんたち。一人ずつお膳がある 出典:朝日新聞
1944年10月、戦時中、疎開先で食事をする東京・本所区の緑国民学校の子どもたち 出典:朝日新聞
1948年、戦後、一家そろっての食事風景。 畳の上に丸いテーブルがあり、まわりに家族が座っている 出典:朝日新聞
1956年11月、稲刈りの合間に野良で食事をする人たち=滋賀県 出典:朝日新聞
1955年、戦後10年が経った家族連れでにぎわう東京・渋谷のデパートの大衆食堂。すし、どんぶり、洋食となんでもあった 出典:朝日新聞
1973年 山口県の小学校の巨大給食室の様子。 一度に900人が食事できた 出典:朝日新聞
1984年2月 家族の団らんの様子 出典:朝日新聞