避難生活を送る103歳のおばあちゃん、寝室には思い出の写真
避難生活を送る三浦ミンさん。寝室には思い出の写真が飾られている=2019年12月23日午後、福島市、小玉重隆撮影 出典:朝日新聞社
旧津島村の記憶があった頃の三浦ミンさん=2018年1月、福島市、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
避難先の介護用ベッドで眠る三浦ミンさん=2019年12月23日午後、福島市、小玉重隆撮影 出典:朝日新聞社
ミンさんの自宅の寝室に置かれている女の子の人形=2018年2月、福島県浪江町赤宇木集落、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
台所に残された、ミンさんが使っていた調理道具=2018年2月、福島県浪江町・赤宇木集落、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
100歳の長寿を記念して内閣総理大臣から贈られた賞状を見せるミンさんの家族=2018年1月、福島市、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
亡くなった愛犬リリーの写真が貼られたアルバム=2020年9月、福島県大玉村、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
亡くなった愛犬リリー(今野秀則さん提供) 出典:朝日新聞社
2011年3月16日早朝、旧津島村に降り積もった雪と愛犬リリー。この中に大量の放射性物質が含まれていたとみられている(今野秀則さん撮影・提供) 出典:朝日新聞社
2011年3月16日早朝、旧津島村に降り積もった雪。この中に大量の放射性物質が含まれていたとみられている(今野秀則さん撮影・提供) 出典:朝日新聞社
震災直後に持ち出した家族の思い出が詰まったアルバム=2020年8月、福島県大玉村、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
自宅から持ち出したアルバムを見つめる今野秀則さん=2020年8月、福島県大玉村大山、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
津島診療所で撮影された「最後の写真」。時計の針は午後4時前を指している=2011年3月11日、福島県浪江町、今野千代さん提供 出典:朝日新聞社
津島診療所前で列を作る人々=2011年3月14日午前、福島県浪江町、三瓶宝次さん提供 出典:朝日新聞社
震災直後の診療所の様子を振り返る今野千代さん=2020年7月、福島市、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
町中心部から避難する車で渋滞する国道114号=2011年3月12日午後1時47分、福島県浪江町、浪江町提供 出典:朝日新聞社
旧津島村・赤宇木集落の記録誌を作り続ける今野義人さん=2018年2月、福島県白河市、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
今野義人さんの取材ノート。赤宇木の方言などが細かな字で書き記されている=2019年12月、福島県白河市、小玉重隆撮影 出典:朝日新聞社
国道114号からのぞむ旧津島村の集落。「DASH村」としても知られる。帰還困難区域のため、いまも立ち入りが制限されている=2017年9月20日、福島県浪江町、内山修撮影 出典:朝日新聞社
旧津島村の商店街の民家に掲げられた「手紙」。原発事故を起こした東京電力への皮肉が記されている=2018年9月27日、福島県浪江町、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
津島原発訴訟で旧津島村の商店街などを視察する裁判官ら=2018年9月、福島県浪江町、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社