震災直後の大切な「最後の写真」 避難先で患者を案じ続ける元看護師
津島診療所で撮影された「最後の写真」。時計の針は午後4時前を指している=2011年3月11日、福島県浪江町、今野千代さん提供
津島診療所前で列を作る人々=2011年3月14日午前、福島県浪江町、三瓶宝次さん提供
震災直後の診療所の様子を振り返る今野千代さん=2020年7月、福島市、三浦英之撮影
町中心部から避難する車で渋滞する国道114号=2011年3月12日午後1時47分、福島県浪江町、浪江町提供 出典:浪江町
旧津島村・赤宇木集落の記録誌を作り続ける今野義人さん=2018年2月、福島県白河市、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
今野義人さんの取材ノート。赤宇木の方言などが細かな字で書き記されている=2019年12月、福島県白河市、小玉重隆撮影 出典:朝日新聞社
国道114号からのぞむ旧津島村の集落。「DASH村」としても知られる。帰還困難区域のため、いまも立ち入りが制限されている=2017年9月20日、福島県浪江町、内山修撮影 出典:朝日新聞社
旧津島村の商店街の民家に掲げられた「手紙」。原発事故を起こした東京電力への皮肉が記されている=2018年9月27日、福島県浪江町、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社
津島原発訴訟で旧津島村の商店街などを視察する裁判官ら=2018年9月、福島県浪江町、三浦英之撮影 出典:朝日新聞社