【秘蔵写真】漂う旅情と哀愁~嗚呼、懐かしの新幹線食堂車
【1998年10月】この頃は、わずか8本に減った食堂車。時間帯によって、客の入りにムラが出るなど、回転率は当初から振るわなかったという=東海道新幹線で 出典:朝日新聞
【2000年3月10日】別れを惜しむ人たちで満員の「ひかり127号」の食堂車 出典:朝日新聞
【1974年9月5日】新幹線に初登場した食堂車で食事を楽しむ乗客たち 出典:朝日新聞
【1970年3月9日】東海道新幹線の近距離の「こだま」で、ビュッフェが一部営業中止となる前に、利用する客たち 出典:朝日新聞
【1970年3月9日】東海道新幹線の近距離の「こだま」で、ビュッフェが一部営業中止となる前に、利用する客たち 出典:朝日新聞
【1970年3月9日】東海道新幹線の近距離の「こだま」で、ビュッフェが一部営業中止となる前に、利用する客たち 出典:朝日新聞
【1974年8月14日】東海道新幹線で、1974年9月5日から、「ひかり」につくことになった食堂車内 出典:朝日新聞
【1975年3月10日】山陽新幹線の岡山以西で初めて走った食堂車。モテモテだった。山陽新幹線は東海道新幹線を延長する形で、1972年3月15日に新大阪-岡山間、1975年3月10日、岡山-博多間が開通 出典:朝日新聞
【1981年】2階建て新幹線の2、4人用のゆったりしたラウンジ車、食堂車の模型=1981年1月ごろ撮影 出典:朝日新聞
【2000年1月】廃止が決まった食堂車。発車を前に「新幹線の名物がひとつなくなる。やっぱりさみしいですね」と、従業員の1人が話した 出典:朝日新聞
【2000年3月10日】新幹線の食堂車で別れを惜しみ記念撮影に納まる親子連れ 出典:朝日新聞
【2000年3月10日】新幹線の食堂車で食事を楽しむ乗客たち=山陽新幹線・新大阪―岡山間で 出典:朝日新聞
【2000年3月10日】満席の「ひかり127号」食堂車。乗客たちは車窓の外を楽しみながら食事を楽しんだ 出典:朝日新聞
【2000年3月10日】下りでは最後の列車となった午後4時7分東京発博多行きの「ひかり127号」の食堂車はほぼ満員。広島駅を過ぎるころには料理はすべて売り切れて、飲み物だけの販売となった 出典:朝日新聞
【2002年11月23日】「グランドひかり」のさよなら運転で復活した食堂車で、夕食を楽しむ乗客たち 出典:朝日新聞
【2003年8月6日】新幹線の食堂車を「再現」したレストラン=名古屋市中村区で 出典:朝日新聞
広島延伸当初の頃の0系新幹線食堂車の様子=宇都宮照信さん提供 出典:朝日新聞
100系「グランドひかり」の2階は食堂車になっていた=JR西日本提供 出典:朝日新聞
100系「グランドひかり」の2階建て食堂車。現在はイベントなどで公開される=福岡県那珂川町のJR西日本博多総合車両所 出典:朝日新聞