「尊師」松本死刑囚が住んだオウム支部、地下鉄サリン事件当時の内側
![かつて松本死刑囚一家が住み、出家信徒が暮らし、在家信徒が通ったオウム真理教船橋支部(中央)。1997年に教団の破産管財人に明け渡されて解体され、今はもうない=1995年8月、千葉県船橋市、藤田直央撮影](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/f/71/f7117819-p.jpg)
![支部手前の道路に掲げられたTシャツ=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/9/b0/9b0da741-p.jpg)
![支部手前の道路に置かれた、教団代表だった松本死刑囚をかたどったボード=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/1/66/16640047-p.jpg)
![かつて千葉県船橋市にあったオウム真理教船橋支部=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/f/44/f446947b-p.jpg)
![支部の玄関には信徒たちの靴が並び、右上に「松本智津夫」の表札がかかっていた。かつて松本死刑囚の一家が住んだ=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/5/c8/5c815aaf-p.jpg)
![支部のグッズ売り場。教団代表だった松本死刑囚にまつわるものがほとんどだった=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/9/30/930cb256-p.jpg)
![支部の壁に貼られた、「イニシエーション」など修行に関する言葉の説明=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/1/c2/1c2ee83a-p.jpg)
![支部で蓮華座を組み瞑想する信徒たち=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/9/64/9644b889-p.jpg)
![支部の壁に貼られた修行のアドバイス=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/6/1b/61b497d6-p.jpg)
![支部で蓮華座を組み瞑想する信徒たち。手前の人がつけたヘッドギアについて教団は、中に電極があり、教団代表だった松本死刑囚のテレパシーと同調することで修行の効果が上がると説明していた=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/d/a5/da501932-p.jpg)
![支部のホワイトボードに書かれた、出家信徒の修行の日程=1995年8月](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/b/90/b90712cd-p.jpg)
![支部に置かれていた「オウム出版」の雑誌で修行の各コースを説明した部分。「来世で高い世界に生まれ変わる」こととされた「ポア」は、一連の事件で「殺害」の意味に使われた](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/2/05/2058f5ab-p.jpg)
![支部に置かれていた「オウム出版」の様々な雑誌。1995年発行の右下の「SACCA」は一連の事件で教団は「無実」と主張し、強制捜査や報道を「弾圧」と批判した](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2018/07/10/4/e9/4e977eb9-p.jpg)
かつて松本死刑囚一家が住み、出家信徒が暮らし、在家信徒が通ったオウム真理教船橋支部(中央)。1997年に教団の破産管財人に明け渡されて解体され、今はもうない=1995年8月、千葉県船橋市、藤田直央撮影
支部手前の道路に掲げられたTシャツ=1995年8月
支部手前の道路に置かれた、教団代表だった松本死刑囚をかたどったボード=1995年8月
かつて千葉県船橋市にあったオウム真理教船橋支部=1995年8月
支部の玄関には信徒たちの靴が並び、右上に「松本智津夫」の表札がかかっていた。かつて松本死刑囚の一家が住んだ=1995年8月
支部のグッズ売り場。教団代表だった松本死刑囚にまつわるものがほとんどだった=1995年8月
支部の壁に貼られた、「イニシエーション」など修行に関する言葉の説明=1995年8月
支部で蓮華座を組み瞑想する信徒たち=1995年8月
支部の壁に貼られた修行のアドバイス=1995年8月
支部で蓮華座を組み瞑想する信徒たち。手前の人がつけたヘッドギアについて教団は、中に電極があり、教団代表だった松本死刑囚のテレパシーと同調することで修行の効果が上がると説明していた=1995年8月
支部のホワイトボードに書かれた、出家信徒の修行の日程=1995年8月
支部に置かれていた「オウム出版」の雑誌で修行の各コースを説明した部分。「来世で高い世界に生まれ変わる」こととされた「ポア」は、一連の事件で「殺害」の意味に使われた
支部に置かれていた「オウム出版」の様々な雑誌。1995年発行の右下の「SACCA」は一連の事件で教団は「無実」と主張し、強制捜査や報道を「弾圧」と批判した