日航機事故、墜落から10時間後の現場 白い煙がもうもうと…














墜落から10時間余り。事故現場からは白い煙がもうもうと上がっていた。この時間、地上では正確な位置がまだ特定できなかった。救助の消防団員が初めて登ってくるまでにさらにしばらくの時間が経過した
墜落した尾根の手前の尾根に、尾部をひっかけた際に落ちたとみられる垂直尾翼の一部があった
ランディング・ギア(車輪)は、南斜面の一番焼けただれた一帯にあった
コックピットの計器。各エンジンのオイル関係のチェックのためのもののようだ
日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落し、乗客・乗員あわせて520人が死亡、奇跡的に4人が助かった。エンジン、タービンが曲がり、草木がからみついていた=1985年
羽田発大阪行きの日本航空123便ジャンボ機(ボーイング747SR)
8月15日、尾根の南側は、立っているのが困難なほどの急斜面だ。事故から3日目の朝、酷暑の中で自衛隊員が黙々と捜索を続けていた
墜落した日本航空ジャンボ機の主翼が散らばる無残な現場
「もしもし、まだわかんないのよ……」と話しているうちに泣き崩れる女性。かたわらの男性も話しながら大粒の涙を浮かべて下を向いた=1985年8月15日
日航機墜落事故弔問飛行のヘリコプターに乗る遺族たち=1985年11月2日
雪が残る日航機墜落現場で始まった機体の破片捜査作業=1986年4月18日
雪が残る日航機墜落現場で始まった機体の破片捜査作業=1986年4月18日
群馬県上野村の村長をつとめた黒沢丈夫氏=1993年7月15日
日航ジャンボ機墜落事故の一周忌を前に遺骨を「慰霊の園」へ運ぶ群馬県上野村の黒沢丈夫村長=1986年