炎に包まれる名古屋城 コンクリート化の前、もう見られない貴重な姿
![1945年5月14日未明の空襲で猛煙に包まれて炎上する名古屋城](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/4/a9/4a97d0a2-p.jpg)
![1945年5月14日未明の空襲で焼失、石垣だけが残った名古屋城。1946年ごろ撮影](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/8/be/8beae502-p.jpg)
![焼失前の名古屋城天守閣西側。石垣に穴を別の石で埋めた跡が残り、抜け穴の跡として話題になった。調査の結果、西側にも小天守を作って架橋する計画があり、その架橋用通路と判断された。](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/1/9f/19f7cd32-p.jpg)
![夜桜のライトアップに浮かび上がる名古屋城天守閣。1945年5月の空襲で焼失したが、1959年に再建された=1966年3月26日撮影](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/5/b0/5b02c41e-p.jpg)
![戦前の名古屋城本丸全景。左から天守閣、西南隅櫓(未申櫓)、表二之門、東南隅櫓(辰巳櫓)。名古屋城は明治以降、宮内省の名古屋離宮となったが、1930年、名古屋市に下賜され、1931年1月11日から一般公](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/e/58/e58e48ca-p.jpg)
![焼失前の名古屋城天守閣西側。石垣に穴を別の石で埋めた跡が残り、抜け穴の跡として話題になった。調査の結果、西側にも小天守を作って架橋する計画があり、その架橋用通路と判断された。](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/6/09/60975d01-p.jpg)
![1945年5月の空襲で焼失する前の名古屋城](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/4/f1/4f1cbaf2-p.jpg)
![消失前の名古屋・猿面茶屋の内部=1936年](https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/storage.withnews.jp/2017/05/12/6/ae/6aeb9d5f-p.jpg)
1945年5月14日未明の空襲で猛煙に包まれて炎上する名古屋城
1945年5月14日未明の空襲で焼失、石垣だけが残った名古屋城。1946年ごろ撮影
焼失前の名古屋城天守閣西側。石垣に穴を別の石で埋めた跡が残り、抜け穴の跡として話題になった。調査の結果、西側にも小天守を作って架橋する計画があり、その架橋用通路と判断された。
夜桜のライトアップに浮かび上がる名古屋城天守閣。1945年5月の空襲で焼失したが、1959年に再建された=1966年3月26日撮影
戦前の名古屋城本丸全景。左から天守閣、西南隅櫓(未申櫓)、表二之門、東南隅櫓(辰巳櫓)。名古屋城は明治以降、宮内省の名古屋離宮となったが、1930年、名古屋市に下賜され、1931年1月11日から一般公
焼失前の名古屋城天守閣西側。石垣に穴を別の石で埋めた跡が残り、抜け穴の跡として話題になった。調査の結果、西側にも小天守を作って架橋する計画があり、その架橋用通路と判断された。
1945年5月の空襲で焼失する前の名古屋城
消失前の名古屋・猿面茶屋の内部=1936年