甲子園、最後の手書きスコアボードの瞬間 独特の書体「甲子園文字」
最後の手書きスコアボード
担当者を悩ませた「済々黌」の文字。左が甲子園文字、右は明朝体=兵庫県西宮市、伊藤菜々子撮影
1983年8月12日、手書きスコアボード
「甲子園文字」を作る拠点の放送室に、特別に入れてもらった=兵庫県西宮市、伊藤菜々子撮影
甲子園文字は明朝体よりも、縦の線が太い
甲子園歴史館に展示されている手書き時代の選手名板=兵庫県西宮市、伊藤菜々子撮影
甲子園歴史館に展示されている手書きで選手名が書かれた板=兵庫県西宮市、伊藤菜々子撮影
1964年8月9日、第46回全国高校野球選手権大会第1日1回戦第1試合、八代東-掛川西 延長18回で引き分けとなったスコアボード
1973年のスコアボードの裏側の点数板
1974年8月7日、スコアボード裏で用意される各校の校名板
1978年8月、試合前に準備されるスコアボードの看板
1980年8月、風通しの悪いスコアボード内で、選手名や得点のボードを交換する係員