こち亀「おばけ煙突が消えた日」 舞台となった千住火力発電所
おばけ煙突から見た東京都足立区千住桜木町の付近一帯=1961年6月ごろ撮影
上空から見た千住の「おばけ煙突」=1954年5月撮影
姿を消すお化け煙。 東京電力千住火力発電所の取り壊し、解体が決まった。材木が係留されている川は隅田川=1964年8月ごろ撮影
日本発送電会社千住火力発電所で、名物の巨大煙突が160万円で「お化粧直し」。作業員は命綱1本をたよりにぶら下がり補修作業をしている=1950年の日発のころの補修風景
昭和の初めから風雪に耐えてきた千住名物の通称「お化け煙突」。後の隅田川の尾竹橋下を船が通っている=1964年8月5日、朝日新聞社機から撮影
東京・足立区の東京電力千住火力発電所の大きな4本煙突が1961年6月、塗りかえられた。見る場所によって2本にも3本にも見えるので「おばけ煙突」と呼ばれた
東京・足立区の東京電力千住火力発電所の大きな4本煙突が1961年6月、塗りかえられた。見る場所によって2本にも3本にも見えるので「おばけ煙突」と呼ばれたこの煙突は、映画「煙突の見える場所」でいっそう有名になった
東京電力千住火力発電所の「お化け煙突」の化粧直し。高さ83.5メートル、直径5から6.4メートルの4本の煙突で1トンのペンキを使い、費用は180万円。1961年6月、ひと月がかりで塗り替えられた=1961年6月2日、東京都足立区千住桜木町で撮影
東京電力千住火力発電所の4本煙突は、高さ83.82メートルあった。多量の石炭を置いている貯炭場の外側(写真上部)は隅田川。千住発電所は1963年に稼働停止した
東京電力千住火力発電所の4本煙突(お化け煙突)=1955年8月11日
石炭の山から、にょっきり3本の煙突。黒煙をはき続ける東京電力千住火力発電所の「お化け煙突」。東京・隅田川沿い、名物として下町の人に親しまれてきたが、老朽化とともに、煤煙など環境問題も深刻化してきた。1964年3月撤去された=1961年ごろ撮影
荒川右岸と隅田川に挟まれた地域に立に高さ83.82メートルの4本の大煙突。貯炭場には燃料の石炭が野積みにされ、隅田川には石炭を運ぶ多数の艀(はしけ)がつながれている=1957年3月ごろ撮影
解体を待つ「お化け煙突」。高さ約84メートル、東京電力千住火力発電所の4本煙突は地域のシンボルで、隅田川沿いの東京名物、下町の人たちに親しまれてきた。長年の風雪で弱り、余命あと数年となり解体へ。1964年8月26日、煙突の下に張ったテント(写真下)の中で、お別れ会が開かれた=1964年8月26日午前、東京都足立区千住桜木町
解体工事中の東京電力千住火力発電所の4本煙突(お化け煙突)=1964年9月19日
解体工事中の東京電力千住火力発電所の4本煙突(お化け煙突)=1964年9月19日2
足立区千住桜木1丁目の東京電力千住火力発電所の4本煙突(お化け煙突)を隅田川(手前)対岸の荒川区町屋7丁目近くから撮影=1963年5月11日
1955年 足立区千住桜木1丁目の東京電力千住火力発電所の4本煙突(お化け煙突)を対岸の荒川区町屋から撮影。手前は隅田川に架かる尾竹橋
1957年 足立区千住桜木1丁目の東京電力千住火力発電所の4本煙突(お化け煙突)を隅田川(手前)対岸の荒川区町屋から撮影
かつて「お化け煙突」があった近くに、その煙突の一部を使ったモニュメントがある=2010年1月14日、足立区千住桜木2丁目、同区提供