チェルノブイリからも中継 廃炉作業の現場で「津田る」
「サマショール」と呼ばれるチェルノブイリ事故後に立ち入り禁止区域内に戻って暮らす男性(左)に話を聞く津田大介さん(中央)と開沼博さん(右から2人目)=2013年4月12日、チェルノブイリ
2号炉の制御室を見学する東浩紀さん(中央)と津田大介さん(左)=2013年4月12日、チェルノブイリ
事故を起こしたチェルノブイリ原発4号炉前でDVD用のインタビューを収録する開沼博さん、東浩紀さん、津田大介さん(右から)=2013年4月11日、チェルノブイリ
全住民が退避したチェルノブイリ原発近くの町プリピャチを見学する東浩紀さん(左)や津田大介さん(右)ら=2013年4月12日、チェルノブイリ
メモリアル公園を見学する東浩紀さん、津田大介さん、開沼博さん(右から)=2013年4月11日、チェルノブイリ
チェルノブイリ原発の「石棺」を覆う巨大なかまぼこ形の新シェルター(左)=2016年3月23日、杉本康弘撮影
1991年4月23日当時のチェルノブイリ。無人になったプリピャチの町に取り付けられた放射能標識
1991年4月23日当時のチェルノブイリ。野ざらしのままの軍用ブルドーザーやトラクター。除染作業に使われていたが「核の墓場」がいっぱいで、87年から約20台が放置されたままだ。これまで数百台埋められ、これだけが残った
1991年4月23日当時のチェルノブイリ。野ざらしのままの軍用ブルドーザーやトラクター。除染作業に使われていたが「核の墓場」がいっぱいで、87年から約20台が放置されたままだ。これまで数百台埋められ、これだけが残った