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本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)
広告特集 企画・制作
朝日新聞社メディア事業本部
ろう者の藤田菜々子さんは会社員としての仕事や育児の傍ら、役者やイベントの司会、スポーツ手話実況、講演会講師など多彩な活動に取り組んでいます。孤独だった思春期から、演劇やインターネットと出会い自分の世界を広げ、様々なチャレンジを重ねた結果つかんだ「やりたいことをあきらめない生き方」について聞きました。
藤田菜々子(ふじた・ななこ)さん
1996年、静岡県浜松市生まれ。生まれつき耳が聞こえず、小中高校は聴覚特別支援学校で学ぶ。児童劇団の研修生として活動しながら、NHKドラマ「中学生日記」で主演。2019年に大学を卒業し一般企業に就職、2020年に公開された映画「咲(え)む」の主演に起用される。現在は会社員として働きながら、イベント司会や俳優、インスタグラマーとして活動する。1児の母。
「小学校1年生から中学3年生まで、ずっと同級生がいませんでした」と藤田さんは、ろう学校時代を振り返ります。
幼稚部時代には、同級生がいましたが、小学校に入る時にはみな転校してしまいました。1歳上も下の学年も数人の同級生がいるのに、藤田さんは一人だけ他学年のクラスに入れてもらって、授業時は別室に移動する毎日。「低学年の頃は、気にせず一緒に遊べましたが、思春期を迎えると人間関係も難しくなりますよね」
「寂しくて学校が楽しくない」という気持ちを先生に伝えたところ、「手話落語」を勧められたそうです。見よう見まねで練習し、ご縁があったプロ手話落語家の前座を務めたことがきっかけで、演じることの面白さに目覚めました。『俳優になりたい!』とあこがれ、劇団研修生になり、中学1年でNHKのドラマ「中学生日記」で聞こえない少女として主役を演じました。
もうひとつ藤田さんの世界を広げたのが「文章」との出会いでした。友だちを持つことにあこがれた藤田さんは、少女向け雑誌の読者コーナーで文通相手を募り、手紙のやりとりで友だちを作りました。リアルタイムのコミュニケーションにもあこがれ、インターネットでチャットを楽しみ、交流を広げたそうです。文章のやりとりなので聞こえないことを明かす必要もなく、ブログへの投稿で人気者になりました。「おかげで今もタイピングが速いのが自慢です」と笑います。
藤田さん自身は、聞こえないことを引け目に感じたり、困ったりした経験はなかったと振り返ります。家族や周囲の環境もあり、劇団や水泳などの習い事をはじめ、障害によってやりたいことをあきらめなければならないといった経験もありませんでした。「負けず嫌いな性格もあったと思います。孤独な学校生活を送ったおかげで、『毎日楽しくクラスメイトと授業中におしゃべりできる人たちに負けたくない』と思っていました。劇団でも発声練習や早口言葉では、耳が聞こえないからとあきらめたくなくて必死に練習しました。そこから反骨精神というか、何にでもチャレンジしてみようという精神が育ったのかも知れません」
また、聞こえないことや中学校まで同級生がいなかったことで、世の中の物差しとは異なる自分の基準を持ったと振り返ります。「世の中でいう『平均』とか『当たり前』といったみなさんが共有するイメージが持てないところがあります。独りぼっちだったので何事も自分で判断する場面が多く、とりあえず自分が行きたいところへ行こう、やりたいことをやろうとしてきたことも、今の性格や生き方につながっているのかも」
一方で、社会の壁を感じたのは、大学時代のアルバイトをめぐる体験でした。藤田さんは「電話対応ができないから」「ろう者を受け入れた経験がないから」といった理由で、30社以上から断られた経験があります。
有名なチェーン店にも応募しましたが、最初は不採用。しかし親身になって対応してくれた店長が紹介してくれた別店舗で採用され、そこで3年間働きました。「当時と比べると、今は多様性が尊重され、ろう者が就業できる機会は増えていますが、自分の可能性が否定されず、対等にチャレンジできる社会になってほしいと願っています」
藤田さんがいま、会社員として働きながら、俳優やイベント出演など多彩な活動をするようになったのは、社会人1年目の時に出演した映画「咲(え)む」でのヒロイン抜擢がきっかけでした。
この映画は一般財団法人全日本ろうあ連盟の創立70周年記念作品で、高齢化が進む山村で、地域おこし協力隊員として働くろうの女性が、住民たちや過疎の村が抱える課題に懸命に向き合う姿を描いた物語です。
高校進学以降は、学業優先で俳優活動とは距離を置いていた藤田さん。大学を卒業し福岡で働いている時に、ろう者であり映画監督を務める早瀨憲太郎さんから出演オファーを受けました。当時は就職したばかりでもあり、いったんは断りましたが、早瀨監督から「自分の人生をかけた作品なので、ぜひ一緒にやりたい」との熱意を伝えられ、「憲太郎さんに恩返しできるチャンスだ」と出演を決めました。
というのも早瀨さんは、藤田さんが3歳の頃から手話を教えてもらった恩師だったからです。二人の出会いは、偶然新幹線で隣り合わせに座ったことでした。母親と手話で話している藤田さんに「よかったら手話を教えましょうか」と当時大学を卒業したばかりの早瀨さんが申し出て、手話の家庭教師になりました。
「当時は手話を学べる環境もあまりなく、ろう学校も口話教育が中心でした。聞こえる両親としては、コミュニケーションの手段をどうすべきか悩んでいたタイミングで、憲太郎さんと偶然に出会えたことが、ターニングポイントになったと思います」
藤田さんは3歳年下の弟を含め、家庭内での会話は手話を使うというルールで育ったそうです。「ろうの子どもにとって、家庭や学校でうまくコミュニケーションがとれないことが、生きる上での自信喪失につながる面があると私は感じます。自分は手話という言語を身につけ、家で自由に話せる環境で育ったことが、何にでもチャレンジしてみる性格の源になりました。憲太郎さんはまさに恩師。私にとってろう者のモデルとなった人です」
OHK岡山放送のサッカーJ2手話実況同時配信の模様
この映画出演がきっかけで、多くの人との新たな出会いが生まれ、そこから新しいチャレンジや仕事の依頼にもつながりました。スポーツの手話実況もその一つです。手話放送に長く取り組むOHK岡山放送(岡山市)は2024年4月、サッカーJ2のファジアーノ岡山対清水エスパルス戦で、YouTubeを使ってJリーグ初の手話実況を同時配信しました。藤田さんは4人のろう実況者と、解説担当のデフサッカー日本代表選手とともに手話実況アナウンスに挑戦しました。
「これまでスポーツにはあまり縁がなかったのですが、思い切って飛び込んでみました。事前に表現方法や、情報を伝えるバランスなどをプロのスポーツアナウンサーから学び、とても勉強になりました。ことし11月には、聞こえないアスリートが世界から集う東京2025デフリンピックも開かれるので、もっとチャレンジしていきたい。夢は大好きなF1レースの手話実況をすることです!」
講演会などの講師として呼ばれる機会も増える中、若い世代の代表として「共生社会の実現のために、ろう者が一方的に支援される存在ではなく、互いに支え合う関係を目指すことを発信していきたい」といいます。
藤田さんは業務として、勤務している会社の障害者採用活動にも携わっています。これまで障害者の雇用に関しては雇用形態や給与に差があることが多かったですが、近年ではその差はなくなりつつあり、一般の採用枠で就職する人も増えているといいます。
「もちろん障害に対する支援や合理的配慮が必要な部分はありますが、同じ条件で働く以上、助けてもらうことを当然だと考える時代ではなくなってきたと私は感じています。同じ組織のメンバーとして、ろう者の側が何を提供し、サポートできるのかという視点も必要だということを、ひとつの考え方として伝えていきたいです」
最後に、誰もがつながりあえる社会の実現のためにメッセージをいただきました。
「やっぱりコミュニケーションっていいな、と思うんです。たとえば同じグループの人たちばかりと話していると、どうしても似た人が集まるので、考え方が偏ってしまうこともありますよね。私の場合、話す相手がいない青春時代だったので、自分から出会いを求めていった結果、言語が違っても、相手と話そうとすることで自分が大きくなれた気がします。新しい出会いを恐れず、飛び込んでみたほうが人生ぜったい面白い、と信じているので、一緒にコミュニケーションを楽しみましょう!」
【本インタビューの手話通訳は根間隆行さん(対面)、坂井祐太さん(遠隔)が担当しました】
本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)