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 朝日新聞社メディア事業本部

東京2025デフリンピック開催1年前イベントのステージで手話通訳する保科隼希さん

聞こえない人たちが導いてくれた手話の世界

フリーランスの手話通訳士として活動する保科隼希さんは26歳。大学を卒業後、スポーツやエンターテインメントの世界を中心に活躍の場を広げている新世代の手話通訳者のひとりです。「聞こえない人たちとの出会いに導かれて自分の世界が広がった」と語る保科さんに、新しい扉を開くために心がけてきたことなどを聞きました。

プロフィル

保科隼希(ほしな・としき)さん

1998年、福島市生まれ。母方の祖父母がろう者で、手話が身近にある環境で育った。小中高時代は陸上競技の跳躍種目で活躍。2017年に亜細亜大学に進学し、駅伝部のマネジャーとして活動する一方、大学の授業で手話に再会し、聞こえない人たちとの交流を重ね、手話の技術を磨く。
大学卒業後、フリーの手話通訳者として活動をはじめる。2023年に手話通訳士の資格を取得。デフ陸上日本代表のスタッフとして手話通訳者を務める。

「聞こえない世界」が身近にあった幼少期

「大学生になって祖父母と手話で会話するようになり、とても喜んでくれました」と話す保科隼希さん

母方の祖父母がろう者だった保科さんにとって、幼少期から手話は身近な存在でした。自宅から歩いて数分の距離に住んでいた祖父母は、雨の日に学校へ迎えに来てくれたり、一緒に買い物に行ったりしていたそうです。母の手話を介して話すこともありましたが、身ぶりや筆談などで日常の会話はほぼ間に合いました。「ばあちゃんは口の動きを読む口話もできたので、コミュニケーションに困った記憶はないですね」。それゆえ、あえて手話を学ぼうとは思わなかったと振り返ります。

大学の授業で手話の魅力をしり、人との関わりの中で身につける

「学生時代は部活動中心で、それ以外は手話の毎日でした」と保科さん

手話と本格的に向き合うようになったのは、進学した亜細亜大学での授業がきっかけでした。手話は受講希望者が非常に多い人気の一般科目で、軽い気持ちで受講しましたが、講師を務める手話通訳士の橋本一郎さんから、手話は言語のひとつであることを教わりました。講義は実際に聞こえない人たちとコミュニケーションをとる実践的な内容だったこともあり、手話の面白さをあらためて知ったといいます。

「もし受講していなかったらまったく違う人生になっていたでしょうね。続けられたのは一緒に授業を受ける友人がいたから。覚えたての手話を使って別の授業中に雑談するなど、音声を使わなくても通じるささいな楽しみが励みになりました。」

手話を学ぶには学校や地域の手話サークルや講習会などに参加して、上達していくのが一般的ですが、保科さんは大学内にある様々な障害により支援を要する学生が集う「障がい学生修学支援室」が、学びの場になりました。ここで聞こえない先輩学生と手話による会話をしたり、手話を教えてもらったりすることを通じて、手話に関心を持つ仲間の輪が広がりました。

大学の陸上競技部の主務マネジャーとして駅伝チームをサポートしながら、魅力のある聞こえない人たちと出会う機会も増え、もっと相手のことを知りたいという思いから、手話の世界にのめり込んでいったといいます。「自分にとっては、手話は勉強して学ぶものというより、人と人の関わりの中から身につけていくことが向いていたのだと思います」

転機となった東京2020パラリンピックでの経験

東京2025デフリンピック開催1年前イベントで、 出演者の手話を読み取って客席から通訳する保科さん(左)

保科さんが手話通訳を「仕事」として考えるようになったのは、東京2020パラリンピックがきっかけでした。就職活動がうまく行かず、大学卒業後は民間企業でアルバイト生活を続けていた2021年、恩師である橋本さんの紹介もあり、パラリンピックの開閉会式に出演するデフのダンサーやパフォーマーの手話通訳を担当することになりました。「おそらく通訳のスキルというより、若くて会場中を走り回れる体力を期待されたのだと思いますが、この体験が大きな転機となりました」

ここで知り合った人とのつながりから、ドラマの撮影現場や、スポーツや講演会などのイベントで手話通訳を依頼される機会が増え、フリーの手話通訳者として本格的に活動していくことを決意します。

「人脈などはありませんでしたが、恩師である橋本先生はじめ、出会った人との縁に導かれて、次の仕事につながっていきました」。2023年には手話通訳士の資格も取得しました。「手話通訳で生活するということは、平たくいえば稼げるようになることであり、社会から価値があるものとして認められることが必要です。そのため、依頼を受ける際には、手話通訳という仕事の価値を相手方にしっかり理解してもらうように心がけています」

デフリンピックを通してデフアスリートの素晴らしさを知って欲しい

デフ陸上日本代表の手話通訳を担当する保科さん(右) 提供/一般社団法人日本デフ陸上競技協会

保科さんが得意とするのはスポーツの手話通訳です。2023年から、デフ陸上日本代表のスタッフとして選手や聞こえるコーチへの手話通訳を担当し、今年台北で開催されたデフ陸上の世界選手権にも帯同しました。デフサッカーの体験講座など、スポーツイベントに呼ばれることが多いそうです。スポーツ専門の手話通訳者を目指しているわけではありませんが、「ルールや専門用語の知識があることや、選手の気持ちが理解できることなど、自身の競技経験は強みになっていると思います」と話します。

この11月にあった来年日本で初開催される東京2025デフリンピックの1年前記念イベントでも手話通訳を務めました。「ぜひ満員の観客席から、世界のデフアスリートの姿を見て欲しい。ライブで体感すれば聞こえない・聞こえにくい人への認識も変わるはずです」と東京デフリンピックの成功に期待を寄せます。

自己実現の手段としての「手話」。聞こえる人のためにも通訳は必要

「聞こえない人の人間性や内面の魅力が伝わる手話通訳を心がけています」

保科さんにとって手話通訳の面白さややりがいとは、「自分一人の力だけでは経験できない世界に、行けること」だそうです。「テレビの撮影現場や日本代表として海外へ行けるのも、自分が手話という言語を持っているから、聞こえない人がそこへ導いてくれる。いろいろな現場、新しい世界を体験できることが楽しいし、常に発見があります」

その原動力は「聞こえない人のために」といった使命感のようなものとは違うともいいます。「もちろん聞こえない人と聞こえる人をつなぐ役割ではありますが、自分の人生を楽しみながら、成長を感じられる仕事だということが一番大切だと思っています」

また、手話通訳は聞こえない人のためのものと思われがちですが、聞こえる人のためにも必要なものだと、保科さんは訴えます。

「手話がわからない人のためにも手話通訳が存在している、と視点を変えるだけで、一方的な見え方が変わり、お互いの理解が進むように思います。また、イベントなどでも、聞こえない人がいないから手話通訳は必要ないと考えるのではなく、マイクやスピーカーと同じように、手話通訳を設備として“当たり前に必要なもの“という感覚になって欲しいと思っています」

「興味」や「好奇心」を大切に、人とつながることが新しい扉を開く

「手話通訳にも多様なタイプがあると、固定的なイメージを変えていければ」と話す保科さん

手話通訳は「いろんな人と出会いたい、いろんな場所へ行ってみたい、人と人をつなぐのが好きだという人には楽しめる仕事だと思います」と保科さん。まずは「面白そうだな」「かっこいいな」といった、いい意味での興味本位や好奇心からスタートしてみては?とアドバイスします。

「もちろん技術は身につけないといけないのですが、あまり『勉強』として目指してしまうと行き詰まることも多い。まずはやってみないとわからないし、いろいろな経験をすること、いろいろな環境に飛び込んでみることが大事です。そこでの出会いやつながりが、新しい世界への扉を開く鍵になっていくのだと思います」

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本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)