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本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)
広告特集 企画・制作
朝日新聞社メディア事業本部
合格率15.15%の難関となった2023年度の「手話通訳者全国統一試験」。この試験に、山口県立大学3年生だった宇都宮明香さんが見事に合格し、話題となりました。若い手話通訳者を養成する厚生労働省の事業による講座で学んだ現役大学生として、初の合格者となります。宇都宮さんは現在、同大学社会福祉学部の4年生。初めて手話に接した小学生のころのきっかけや、意思疎通支援活動への意欲をうかがいました。
宇都宮明香(うつのみや あすか)さん
2002年、愛媛県生まれ。山口県立大学社会福祉学部4年。2022年度に全国手話検定試験2級に合格。2023年度は「手話通訳者全国統一試験」に合格し、山口県で手話通訳者として登録しました。
宇都宮さんの通う山口県立大学は、若手の手話通訳者を養成する厚生労働省のモデル事業に、2022年度から参加。大学生や35歳以下の社会人を対象に「手話コミュニケーション講座」と「手話通訳者講座」を開いています。
宇都宮さんは2年生の時に「手話コミュニケーション講座」を、3年生で「手話通訳者講座」を受講。3年生の冬に「手話通訳者全国統一試験」を受験して合格、晴れて手話通訳者の資格を得ました。
統一試験の内容は、筆記と実技。勉強は「ひたすらテキストを読み込んで、過去問題を繰り返し解いていた」そうで、筆記には自信があったものの、実技の手応えは「全くありませんでした」と振り返ります。
実技で課されたのは、「場面通訳」と呼ばれるもの。耳の聞こえる方と耳の聞こえない方のやりとりをする動画を見て、どんな内容だったかを手話で伝えます。
例年は、耳の聞こえる方と耳の聞こえない方の一対一のやりとりが出題されていたのですが、このときは、耳の聞こえない方2人とのやりとりが出題されたそうです。
「試験に向けて練習してきたシチュエーションと違って、2人分の手話を読み取らなければならなかったので、かなり難しかった」と振り返ります。自分が使いたい単語に対応する手話が出てこないときに、「とっさに自分の知っている単語に置き換えて伝えるのも大変でした」。
合格を知ったのは、地元の愛媛県に帰省していたときのこと。「諦めていたので、びっくり」。家族と喜びを分かち合いました。
宇都宮さんが「手話通訳者全国統一試験」を受ける前に受講していた講座には、大学の手話サークルの仲間たちと一緒に申し込んだそうです。「若手の手話通訳者を養成するための講座だったので、年齢が近い人と学ぶ貴重な機会になりました」
宇都宮さんが手話に関心を抱いたのは、小学4年生のときの福祉学習がきっかけです。「耳の聞こえない方が学校に来て、聞こえない暮らしや、手話の自己紹介のやり方について教えてくれました」
手の動きが言語となり、会話ができる、意思が通じる。これは宇都宮さんにとっては大きな驚きで、「手話っていいな」と心がひかれました。特に印象に残ったのが、あいさつ。
「例えば『おはよう』は、手話だとこめかみに当てた拳を下ろす動作になるのですが、これは頭を枕から外す様子から生まれたそうなんです。『こんにちは』にも『こんばんは』にもそれぞれ成り立ちがあって、すごいなあと思ったのを覚えています」
「手話っていいな」という思いは、ずっと頭の片隅にあったものの、その後、手話に触れる機会はほとんどありませんでした。「中学や高校に手話部があったら入っていたかもしれませんが……」と、宇都宮さん。久しぶりに手話への関心が高まったのは、大学受験のときでした。
資格を取得できる学部に行きたくて、社会福祉系の学部を志望したといいます。「第一志望の山口県立大学にも、併願した二つの私立大学にも、手話サークルがあって。それで、大学では手話サークルに入ろうと楽しみにしていました」
大学進学後は、当初の希望通り手話サークルへ。手話で日常会話の練習をしたり、耳の聞こえない方と交流をしたり、曲に乗せて歌詞を手話で表現する「手話歌」をイベントで発表したりと、充実した日々を送ります。
「手話を覚えたてぐらいの頃に、初めて耳の聞こえない方と意思疎通ができたと感じられたときはとてもうれしかったし、感動しました」。
一方で、手話がちょっとできるようになってくると、ついわかったフリをしてしまうことも。「でもそれをやってしまうと、コミュニケーションが上手くいかないんです」
手話が通じたうれしさと、手話で通じ合えなかった悔しさが、「手話でもっと話せるようになりたい」という思いを強くしました。そんな中、宇都宮さんが2年生の時に大学で始まった講座は、まさに渡りに船。学べば学ぶほど手話で話せる言葉が増え、会話がスムーズになっていくのが楽しかったと言います。
講座では、発声は一切禁止。だから最初は先生が手話で何を言っているのか全然わからない。「でも一生懸命に見ていると、だんだん文の流れがわかるようになってくるんです。状況を手話で伝える練習も、何度も繰り返すうちに上達していく実感がありました」
2年間学んでみて感じたのは、手話は一つの言語だということ。「英語やフランス語を話せるようになると、それまで関わることのできなかった人と関わるようになるのと同じように、手話を勉強したことで、関わる人の幅はどんどん広がっていきました」
講座で講師を務めた耳の聞こえない方や通訳者の言葉も、強く心に残りました。
「耳の聞こえない方からは、『上手く伝えようとするよりも、まずは伝えようとする姿勢が大事』と教えてもらいました。通訳の方からは『相手の表情を見て、相手のことを考えて通訳をしましょう』と。手話を学ぶうえで一番大切なのは、相手を思う気持ちなんだと感じました」
大学4年生の今は、サークルは引退。手話通訳者として登録した山口県の研修会や、山口市の手話サークルで手話の勉強を続けています。卒業後の進路として、手話通訳者の職を探したのですが、なかなか見つからなかったそうです。
「手話の資格を生かせるかも」と、ある求人に応募した際は、手話を否定されてショックを受けました。「耳の聞こえない方を尊重する気持ちや理解する気持ちがないように感じられて、悲しかったです」
まずは別の仕事をしながら、要請があったときに手話通訳をする生活になりそうとのこと。「手話通訳者養成事業で育てていただいたので、どんな形であれ手話通訳に関わっていきたいと考えています」
宇都宮さんはこれまで、耳の聞こえない方が置いてきぼりになっている場面をたびたび目にしてきたといいます。
「手話サークルの中でさえ、手話を使わずについ声で話してしまうことは多いから、社会で耳の聞こえない方が孤独を感じる瞬間はすごくたくさんあると思うんです。でもそれは、耳の聞こえない方を取り巻く環境を知る人が増えれば変わっていくはず。だから今は、できるだけ多くの人に耳の聞こえない方について知ってほしいと考えています」
最近、ごく身近なところで、小さな変化がありました。
父親が切り盛りする実家の飲食店でのこと。「耳の聞こえない方もお客さんとして来店するんですけど、父は『話が通じないから』と言って、会話を交わすような込み入った接客を避けてきました」
「だけど、私が『書いたり、ゆっくり話したりすれば伝えることはできるよ』と話したら、関わろうとするようになったんです。『ありがとう』の手話も教えたら早速使ってくれて。伝わって喜ぶ父の姿に、私もうれしくなりました」
手話通訳者の試験に合格したことで、意思疎通支援者向けの研修会に参加するようになった宇都宮さん。今は、盲ろう者向け通訳・介助員や要約筆記者にも関心を持つようになったと言います。
「やっぱり、当事者に会う機会があると関心は広がりますよね。意思疎通支援は、相手がどんな方で、どうやってコミュニケーションをとってほしいと思っているかを知ることから始まると考えています。だから手話で学んだことを生かしつつ、他のさまざまな支援の形も勉強していきたいと思っています」
本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)