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 朝日新聞社メディア事業本部

盲ろう者向け学習機器を開発。畑違いの挑戦に取り組んだ技術者の願い

トヨタ自動車東富士研究所に勤務する中園秀幹さんが、中途盲ろう者向けに点字や指点字を自分で学ぶための学習機器を開発し、注目を集めています。畑違いともいえる研究開発になぜ取り組んだのか、開発を通して知ったコミュニケーションの重要性について伺いました。

プロフィル

中園 秀幹(なかぞの ひでき)さん

トヨタ自動車東富士研究所所属。
1975年、福岡県生まれ。関西大学大学院を経て、2002年トヨタ自動車に入社。HV(ハイブリッド)システムの先行開発に従事。2020年より、新規プロジェクトとして点字・指点字の自習学習機器開発に取り組み、「障害者自立支援機器ニーズ・シーズ・マッチング交流会2023」に試作機を出展。静岡県盲ろう者向け通訳・介助員。

自動車のシステム開発から指点字・点字の学習機器開発へ

中園さんの本業はHV(ハイブリッド)のシステム開発ですが、社会課題の解決をテクノロジーの力で目指す動きや、「私たちが量産したいのは『幸せ』」というトヨタの考え方に影響を受け、技術者として社会のためにできることはないか常に考えていたそうです。

そんな時、たまたま見たテレビのドキュメンタリー番組で、盲ろう者の存在を初めて知りました。2018年のことです。見えない・聞こえないという障害を併せ持つ困難に触れ、「何か力になりたいとは思いましたが、あまりに畑が違いすぎてしばらくは行動に移せませんでした」と振り返ります。

転機になったのは、静岡盲ろう友の会会長だった齋藤正比己(まさひこ)さんとの出会いでした。

齋藤さんは生まれたときから弱視で、小学生の時に失聴、さらに60歳で全盲ろうになったそうです。周囲の協力で地方自治体職員として定年まで勤めましたが、「何をするにもだれかの助けが必要になってしまった現実に、悔しさと申し訳なさを感じ、生きている意味があるのかとさえ思った」と当時の思いを語りました。「生きる意味」という言葉に、中園さんの心は大きく動いたそうです。「移動」「情報の入手」「コミュニケーション」が盲ろう者の三大課題だと知り、これらの解決に取り組むことを上司に提案し、2020年から業務として開発に着手しました。

解決すべきは「情報・コミュニケーションの確保」

最初に中園さんが考えたのは、自動車メーカーの技術も生かせる移動用モビリティーでした。たとえばGPSで位置情報を取得し、目的地まで盲ろう者を誘導してくれる手押しカートのようなイメージです。しかし、盲ろう者の方たちと交流を深め、ヒアリングを重ねていくと、これだけでは根本的な問題解決にならないことがわかってきました。

たとえ移動手段が確保できても、何のために、どうやって移動するのか、移動先で何をするのかなど、自分で調べたり、誰かと会話したりする必要があります。計画から目的の達成まで、情報とコミュニケーションが一体となって初めて移動という行為が完成することがわかりました。「移動の前提となる情報とコミュニケーションの確保が重要だとわかり、軌道修正しました」と中園さん。

中途盲ろう者の悩みに寄り添い、独学をサポート

盲ろう者のコミュニケーション方法には、指に点字を打って伝える「指点字」や、手話の形や位置を触ることで把握する「触手話」、手のひらに文字や数字を書いて伝える「手のひら書き」など多様な手段があります。また視力や聴力を失った時期や順序によって使われる方法やスキルも様々です。

また、もともと聴力に障害があり、途中から視力を失った場合、特に高齢で盲ろうになった方は、点字や指点字を習得するのに大変苦労していることがわかりました。さらに学んだ内容を確認するには必ず通訳や介助者の補助が必要です。「自分ひとりで指点字や点字を学習できる練習機器があれば、習得を支援できるのでは」「練習の場が会話の場になるのでは」。これが中園さんの開発コンセプトになりました。

機器は①指点字を打つ練習②装置が出題する指点字を読み取る練習③装置が出題する点字を触読する練習④手のひら書きを機械で再現する機能を備えています。自分が打った指点字が正しいか、ハンマーで打たれた指点字を正しく理解できているか、機械のピンが動いて手のひらに答えを書いてくれることで、自分で答え合わせできるところが特徴です。

左右6本の指をハンマーがたたいて、指点字を伝える

機器は手作り。学びをあきらめさせない工夫も

開発にあたっては「技術者といっても未経験な分野だったので、プログラミングやCAD、電子工作の技術など、周囲の協力を得ながら、書籍やYouTubeの動画なども参考にゼロから勉強しました。トヨタの技術はまったく関係ありません」と笑います。

例えば、手のひらに書くピンを上下左右に動かす機構は、当初はCDを出し入れするCDプレーヤーのトレーや家庭用プリンターの構造など、身の回りにある機器を参考にしました。「すべて手作りで、技術的には工業高校の生徒さんなら対応可能なレベルです。でも、手のひら書きを再現する仕組みは、調べた限り前例はありませんでした。手のひら書きは、触手話を使う盲ろう者が普段から併用する読み取り易い手段なので、情報端末として使えると考えました」

学習機の解説動画

盲ろう者の人たちの意見をもとに改良を重ね、2023年には最新の3号機が完成しました。受信した電子メールの内容を点字や手のひら書きで確認し、指点字で打った内容を手のひら書きで確認して返信する機能や、インターネットから天気予報やニュースのタイトルを取り込み、手のひら書きで伝える機能も盛り込みました。

齋藤正比己さん(右)と試作機の使い勝手を検討する中園秀幹さん

新機能の目的は、学習意欲やモチベーションの維持にあります。これは、中園さん自身が点字や手話を勉強し、盲ろう者向け通訳・介助員養成講座を受講した体験から得た気づきでもあるそうです。「点字にしろ手話にしろ、新しい文字や言語をゼロから学ぶのはやはり大変難しいことです。行き詰まって挫折しないように、メールで家族や支援者とつながる機能があれば、学習の励みになるはずです。点字がまだ読めなくても、手のひら書きで、最低限の情報にアクセスできることも大事な要素だと考えました」

人と情報に繫がることはライフライン

開発の原動力になり、一緒に試行錯誤しながら歩んできた齋藤さんは2024年1月、70歳で急逝されました。「盲ろう者にとって人と情報に繫(つな)がることはライフラインの確保であり、『これからも生きていこう』と思う源泉になる。そういう希望を持つ人がいるので、必ずやり遂げて欲しい」。こんな言葉で常に励まされたと中園さんは振り返ります。

次のステップとしては、試作機を一定期間、中途盲ろう者の方たちに使ってもらい、学習の継続や点字・指点字の上達に寄与できるか検証していきたいといいます。最終的には、希望する人に機器を貸し出していく運用ができればと考えています。「練習機器であり、ずっと使い続けるものではなく、利用者も限られているのでビジネスとしては不向きかもしれませんが、齋藤さんの思いに応えるためにも、また、誰一人として取り残さない世界への小さな一歩として、少数でも必要とする人がいる限り、社会貢献としてやれることを考えていければと思います」

「人生を豊かにする」意思疎通支援

盲ろう者の方たちが抱える課題に向き合う中で中園さんが感じたことがあります。「齋藤さんは『助けられてばかりで申し訳ない』と話されていましたが、本当は逆なのではないでしょうか?」

中園さんは、盲ろう者向け通訳・介助員養成講座や友の会の活動に参加しているとき、新しい学びや出会いを通じて、生き生きと楽しく活動に取り組む支援者の人たちに大きな影響を受けたといいます。「意思疎通支援にかかわることは、当事者への支援だけではなく、むしろ障害がある方たちを介して、私たち支援する側の生活の質が向上し、人生が豊かになっていくことなのではないでしょうか」

新しい文字や言語、新しいコミュニケーションのかたちを知り、学ぶことは、すべての人たちの幸せにつながる手段のひとつなのかもしれません。

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本事業は、意思疎通支援従事者確保等事業
(厚生労働省補助事業)として実施しています
(実施主体:朝日新聞社)