話題
身に覚えのない逮捕 検察官が「ない」と言い続けた証拠で無罪判決に
「園児を虐待」容疑 保育士を拘束300日

話題
「園児を虐待」容疑 保育士を拘束300日
検察官が「ない」と言い続けた証拠が、裁判の途中で「ある」と判明し、無罪の決め手になった――。刑事裁判を取材する筆者は、4月に無罪が言い渡された裁判の裏側を探りました。証拠一つが出るか、否か。それで有罪と無罪の結論が変わりうる刑事裁判の恐ろしさを、改めて痛感しました。(朝日新聞記者・森下裕介)
保育士の男性が自宅で逮捕状を示されたのは、かつて勤務していた東京都日野市の保育所で園児に暴行をして傷害を負わせた――という内容でした。
男性は「身に覚えがありません」ととっさに反論しましたが、「覚えがなくてもいい」と手錠をかけられました。
身体拘束はこの日以降、約300日に及びました。
筆者がこの事件を取材し始めたのは、東京地裁立川支部で出た無罪判決について、「裁判で証拠隠しがあった」と一部の弁護士の間で話題になっていると知ったことがきっかけでした。
立川を拠点にする同僚記者に連絡をとり、協力して取材をすることにしました。
裁判の被告だったのは保育士の男性です。勤務先の保育所で園児の体を激しく揺さぶってけがを負わせた、という傷害罪に問われました。
男性の弁護人の久保有希子弁護士によると、男性は逮捕直後から一貫して無実だと訴えました。
しかし、「暴行を見た」という元同僚2人の証言が主な根拠となり、裁判にかけられました。
犯罪の疑いをもたれた人を弁護するため、大切になるのが、どんな証拠を検察が持っているかをチェックすることです。
裁判が始まる前、久保弁護士と布川佳正弁護士は証拠のチェックを進めました。
その結果、元同僚2人が男性による暴行についてLINEでメッセージを交わしていたことをつかみました。
しかし、やりとりのデータ自体は証拠の中に見当たりません。
久保弁護士らは、このデータは2人の証言が信用できるかを確かめるカギになると考え、検察に対して見せるように求めました。
しかし、何度聞いても、検察の回答は「データは存在しない」。そのまま裁判が始まりました。
ところが、裁判で事態が一変しました。捜査を担当した警察官が法廷で「データはある」と証言したのです。
裁判官が促したこともあり、「ない」はずだったデータを検察がようやく開示しました。
メッセージの内容からは、元同僚2人が取り調べを受ける前、暴行を見たという時期などについて、証言の内容をすりあわせていた疑いがあることがわかりました。
その後、判決は「証言は信用できない」として男性に無罪を言い渡し、検察も控訴を見送りました。
こうした経緯について、久保弁護士は「データが出てこなければ有罪もあり得た」と話しました。
「犯人」にされかけた男性は、どんな気持ちだったのか。弁護士を通じて取材を依頼すると、男性は会って話を聞かせてくれました。
両親が保育所を経営していて、子どものころから保育士になるのが夢だった。お絵かきやダンスの苦手な子どもにアドバイスをして、楽しく前向きに取り組めるようになってもらうのがやりがいだった――。
しかし、今回の逮捕と裁判で、男性は仕事と日常生活を壊されてしまいました。逮捕後の身体拘束は約300日に及びました。
無罪は確定しましたが、いまだに精神的な不調を抱え、仕事への復帰を前向きに考えられないといいます。
裁判で、男性が強く覚えている場面があると教えてくれました。パソコンでのデータ保管について、久保弁護士が警察官に尋ねた際のやりとりです。
男性はこの警察官の証言にショックと怒りを覚えたといいます。
「一人の人生が変わるような証拠をちゃんと管理していない。どうして平然とそんなことが言えるのか」
検察は、疑われた人を有罪にするのに都合の良い証拠だけを出し、有罪のストーリーに都合の悪い証拠は裁判に出てこない……。
実は、こうした事態は過去の刑事裁判でも繰り返し起きています。
何年も刑務所で服役した末、再審(やり直しの裁判)で無罪となるケースも相次ぎました。
自分がある日突然、身に覚えのない疑いをかけられたら、間違いなく無罪になる仕組みになっているのだろうか。そんなもやもやした思いを抱えながら、日々、法廷で取材をしています。