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京大吉田寮に10日間通ってみた 誰でも入れる「食堂」の役割とは
クラブにもライブ会場にも変身しちゃうんです

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クラブにもライブ会場にも変身しちゃうんです
「京都大学吉田寮」と聞くと、どんなイメージをお持ちでしょうか。「古い」とか「なんか裁判やってるところ」とか思われる方もいるかもしれません。ではその内側にある、寮生たちの日常はどのようなものなのでしょう。それを知るべく、寮祭期間に10日間通ってみると、地域に開かれた〝文化拠点〟としての存在感を強く感じました。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)
吉田寮は、1913(大正2)年に建てられて、今年で築112年となる国内に現存する最古の学生寮です。
歴史ある「現棟」と2015年に完成した「新棟」に、現在あわせて100人ほどが暮らしています。
寮には自治会があり、寮に関する決定は寮生たちの会議によって決められます。新たに寮生になる学生の選考も自ら行い、「自治寮」として長年維持されてきました。
ただ近年では老朽化が進み、寮自治会は大学に対して補修を求め続けてきました。
しかし2019年、現棟から寮生の退去を求める大学側が、明け渡しを求めて一部の寮生に対して裁判を起こしました。
2024年2月には、大学が退去通告を出す前から居住していた14人の居住を認める判決を京都地裁が出しました。吉田寮にとって「一部勝訴」の一審判決でした。
判決を受けた2024年02月19日の朝日新聞朝刊の社説にはこうあります。
「自主自律を重んじ、個性豊かな人材を送り出す。それこそが大学に期待される役割である。管理を強め、強権を振りかざすのでは、自治を守るべき学府の自己否定につながりかねないと知るべきだ」
地裁判決については両者が控訴し、現在は大阪高裁で和解協議が進行中です。
さて、私が吉田寮に通ったのは5月23日から6月1日。年に一度の寮祭の期間で、さまざまな企画が展開されていました。
寮祭に関して興味深かったのは、企画を立てるのも出演するのも参加するのも、「寮生であるかどうか」はまったく関係ないこと。
「寮外生」と呼ばれる、寮に居住はしていないものの寮の活動によく参加している人たちや地域住民など、誰だって参画できます。
出演や出店、参加はすべて無料。あらゆる企画は「カンパ」によって成り立っています。
多くの企画の会場になるのは、現棟と新棟の間にある「食堂」。教室2つ分くらいの大きさがある空間です。
食堂といっても、ここで毎日寮生が食事をとるわけではありません。
1980年代、いまと同様に大学側が寮から寮生を追い出そうとしたことがありました。
それまで食堂には調理のためのスタッフが大学によって配置されていましたが、「配置転換」によって調理スタッフが不在に。食堂としての機能は奪われ、以降は多目的に使えるイベントスペースとして機能しています。
食堂は現棟よりさらに古い1889(明治22)年に建てられました。大学との協議によって、新棟ができたのと同じ2015年に補修されました。ただ、柱や梁(はり)は建設当時のままで、寮の長年の歩みが垣間見えます。
寮と寮の外側をつなぐバッファゾーン(緩衝地帯)のような役割を果たしていて、24時間365日、誰でも入れます。
寮生の丸本高己さん(文学研究科・博士課程3回生)が食堂を案内してくれました。
食堂の建物に入ると、調理カウンターを挟んで2つのゾーンがあります。現役の食堂だったころ、料理を「食べる」エリアと「作る」エリアに分かれていました。
現在では、食べるゾーンが「食堂」、作るゾーンに残っている台所が「調理場」、調理場の奥が「厨房」と呼ばれています。
調理場だけは名前通り料理ができる場所ですが、食堂は大きなイベントスペースとなり、厨房はバンドの練習などに使われています。
食堂を使いたい人たちから構成される月2回の「使用者会議」があります。寮生であるかに関わらず参加でき、そこでイベントを開く日時などを決めます。使用料はかかりません。
音響機材や照明機材も使用者たちが共用物として管理し、使っています。
丸本さんは「音楽イベントや芝居、映画上映会、講演とかいろんなことに使われます。この大きさの会場を無料で借りられるというのは稀有なことで、旗揚げしたての劇団とか結成したてのバンドなどにとって最初の一歩に最適な場所です」と話します。
食堂は地域の文化発信の拠点の一つになっています。
食堂は寮が地域や文化を支え、また支えられ、地域や文化に関わる人々と混ざり合い、溶け込むための場所として機能してきました。
KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭)のサテライト会場のひとつになったり、地元の音楽集団の周年イベントに使われたり、ごみ収集員たちによる「文化祭」が開かれたり。
あらゆる文化や人々を受け入れる共同体の舞台である食堂も、現棟と同様に明け渡し訴訟の対象とされています。
丸本さんはこう言います。
「食堂は寮のものではあるけど、『寮生だけで占有してはいけない。外に開かれていないといけない』という認識があります。吉田寮が外の世界とつながるために大事な役割を果たしています」
「いま大学の提訴によって対立を迫られていますが、それはむやみに反抗したいからでも建物に固執しているからでもありません。文化的活動拠点としてのこの空間を守るために、必要にせまられてやっていることです」
「イベントに来て楽しんでもらった方には、ぜひ『なぜこれ(自由に展開されるイベント)が可能なのか』も考えていただきたいです」
「開かれた」食堂は、寮生と寮外生たちが守り続けてきた、そしてこれからも守り続けようとしているものの一つです。
京大大学院人間・環境学研究科の教員でありつつ、音楽家・詩人として食堂でこれまで何度も演奏してきた細見和之教授(ドイツ思想)は吉田寮についてこう言います。
「京大は建物を壊してでも、土地を『有効活用』する方向を目指しているようです。しかし吉田寮は、それ自体が京都大学の商標のような役割をずいぶん果たしてきました」
「京大は『自由の学風』と『対話の精神』を売りにしていますが、そういうイメージを作り出すうえで吉田寮が果たしてきた役割は限りないと思います。吉田寮をなくそうとすることは、京大が自らの資産を潰す愚かな行為としか言いようがありません」
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