お金と仕事
「あの自信はどこから?」悩める管理職に僧侶は…説く〝信〟の意味
本来の意味に立ち返る

お金と仕事
本来の意味に立ち返る
企業で働く人との対話を重ねる僧侶「産業僧」として活動する松本紹圭さんはある日、勤続20年を超えた管理職から「普段は強がって振る舞っているが、芯からの自信がない」と悩みを打ち明けられました。管理職をも悩ませる「自信」は、仏教用語でもあるといいます。その深め方とは。
「子どもの頃から、自分の人生をあまり疑うことなく生きてきて、それは幸せなことでもありました。でも、30歳を過ぎたあたりから、そうは思えなくなってきまして。仕事では、自ら新しいことを打ち出すこともなく、周りから特段評価されることもなく、この10年を過ごしてしまった。さほど実力もない自分には、自信がないんだと、今、思わされています。部下をまとめる立場にもなり、普段は強がって振る舞っていますけど、自分には芯からの自信がない――」
松本さんにそんな悩みを打ち明けるのは、大手企業に勤めて20年超の管理職、Aさん。
一方、Aさんが「いつもとても自信があるように見える」というのが、かねて慕う上司です。「特別な実績があるわけでも、いわゆる成功を収めているわけでもない。それでも、本来あるべき姿や、自分たちの抱える課題を語る上司に、周囲の人たちはついていく」
そしてAさんは、「あの自信はいったいどこから来るんだろう」と疑問を抱いているのだといいます。
松本さんは、「自信」について、このように問いかけます。
《「自信」は一般的に、辞書が示す言葉通り「自分を信じること」と理解されていますが、では、この「信」は、誰が誰を信じるのでしょうか》
《「自分が自分を信じる」という自己完結型の理解は、確かにひとつの捉え方です。しかし同時に、実は「自分を信じることができる根拠」がどこかに存在する、つまり自分の外側にある「何かが自分を信じてくれている」という感覚も含まれているように思われます》
さらに、日本では仏教用語でもあるという「自信」については、このように説明します。
《仏教において自信とは、自らの仏性や修行の道を信じることを意味します。親鸞聖人は「信じること」について、自力の修行努力のみならず他力のはたらきに身を任せ、それについて疑うことのない心を持つことが大切であるとおっしゃいました。自分自身の努力やコントロールへの信頼ではなく、自己を超えた力を全面的に受け入れ、託すことを「信」の根本にある態度としてみています》
「東洋においても西洋においても、古くから『信』は、自己の孤立した信頼ではなく、開かれた世界(他者)とつながる双方向的な深い信頼を意味していたのです」と、松本さん。
Aさんが悩んだ、「自信をもてない」という苦しみを解くカギとして、このような考え方を示します。
《近代化の過程で、個人や自己の意識が高まる中で「自己への信頼」が重要視され、「自分が自分を信じる」ことを明確にする「self-confidence」の意識が広まりました。そうした変化を明治期の日本が取り入れ、「自信」の概念を更新しながら今日まで用いてきたわけですが、あらためて本来の意味に立ち返ることが今、私たちの「自信をもてない」苦しみをほどく鍵になりそうです》
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