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カラーコーンや値引きシール…東京のささいな街の風景を〝路上採集〟
東京藝術大学の卒業制作、記者が気になったのは…

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東京藝術大学の卒業制作、記者が気になったのは…
1カ所に集まったカラーコーン。「半額」の上に貼られた「30%」の値引きシール……。記者は毎年、東京藝術大学の卒業制作展を訪れています。ことし気になったのは、路上の「些細(ささい)な」ものをハンカチにプリントした作品でした。作者に話を聞きました。(朝日新聞記者・吉田貴司)
街を歩いていて、なんかちょっと気になるものってありませんか?
記者の家の近くに「コミニテーホール」という看板があるんです。
「なんで『コミュニティ』じゃないんだろ?」って、通るたびにうずうずします。
そんな記者が釘付けになったのが、1月に開催されていた東京藝術大学の卒業制作展の作品でした。
作品名は「些細なハンカチーフ」。
カラフルでかわいらしいイラストが描かれたハンカチや元となるイラストは、とても温かみがあります。でも、よく見ると……。
カラーコーン?
右上には「自分だけ立場が違って少し緊張する」とあります。
気になる。制作した学生さんに取材を申し込みました。
つくったのは、東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻の江原若菜さん。カラーコーンは東京・丸の内の歩道で見つけたそう。
五つのうち、三つが「警視庁」「警察署」とありましたが、一つだけ「工務店」と書かれていました。
同じ様子なのに肩書きだけ少し違ってよそよそしいのは、さながら夏休みに引っ越してきた転入生のような姿。
こうした、普段なら見過ごしてしまうような些細なシーンを、江原さんはハンカチにプリントし、心の支えになるようなポジティブな言葉を添えて、59作品を展示しました。
せわしなく日々が過ぎゆく中で、こうした光景を心にとどめておけたら、ちょっと前向きになれそうです。
日常の支えとなる、お守りのようにもなる、簡単に持ち運べるもの……と考えてハンカチにしたのだといいます。
制作のきっかけは、2年前の学部の卒業制作でした。
テーマがない課題をじっくり時間をかけてつくる卒業制作。まずは東京の街を歩き回りました。すると、些細なものがチラチラと目に入ってきました。
「いつも通っている道でも改めて見ると面白いものがあるじゃん」
見過ごしてきた風景たちを「路上採集」と名付けて集めて、新聞形式にして紹介しました。
学部の卒業制作では、リサーチをそのまま客観的に見せることを意識して新聞という形を選んだといいます。
大学院に進んだ今回の修了制作では、より「自分が何を感じたか」を見せるために、表現はイラスト中心にし、対象のものが目立つようなデザインに仕立てました。
また、2年後の姿を改めて追って、その姿をウェブサイトにまとめ、ハンカチについたQRコードから見えるようにしました。
「教授からは誰も気づかないようなものの2年後が見れるのが面白いと言われました」
江原さんがひとつひとつの「路上採集」で選ぶ〝些細なもの〟とは、一体どのようなものでしょうか。
ポイントとして挙げたのが、「人がかかわっているもの」です。
例えば、東京都江東区で見かけたクリーニング屋さんの表示。大きな「半額」の表示の上に、何枚もの「30%OFF」の張り紙がありました。
もともとは半額だったサービスが、物価高騰の影響なのか、値引き幅を変えたのかもしれません。
もっとお金をかけたり、時間をかけてデザインしたりすればきれいに表示ができるかもしれません。
でも、江原さんが魅了されるのは、「制限がある中で、しょうがなくやっている、今できることを工夫しているという人の営みが映し出す光景」なのだそう。
「頑張って人が生きているなということが見えてきて、回りまわって自分を勇気づけてくれるんです」
前衛的な芸術家の赤瀬川原平氏(1937-2014)は、建物などにつくられた役に立たない無用の長物となるものを「トマソン」と呼び、新たな概念を提唱しました。
たとえば、登った先に何もない階段などが「トマソン」です。
ただ、江原さんの路上採集のもうひとつのポイントは、赤瀬川氏が提唱したような「無用なものではない」という点でした。
本来の使い方と違っていても、何らかの役割は果たしている。色や姿が多少違っていても、成り立っている――。
ひとつひとつは些細でも意味があるということが発想の原点にあります。
江原さんは「意味のないものはないと思いたいという気持ちがベースにある。そういう意味でトマソンとは違うかもなって」と語ります。
群馬県出身の江原さん。東京の街の構造も、この作品につながっているといいます。
「東京はクルマ社会でなくて、街が『人のスケール』でできています。歩行者の目線で街ができていていろんなものが詰め込まれている。いろんな人の形跡が目に入ってくる。人の営みがにじみ出ているものがあちこちにあって面白いんです」
学部の卒業制作から2年経って、再び見た東京。変わらずたたずむ建物もあれば、全く姿を変えてしまったものもありました。
しかし、江原さんは「なくさないでほしいという思いで作ったのではなく、自分の中ではなくなることは受け入れている」と話します。
「自分が気になったものは自分で記録しないと、意外とどこにも残っていないことがあります。むしろなくなるからこそ、自分の記憶からなくならないように作品にしました」と振り返ります。
卒業後は一般企業でデザイナー職に就くという江原さんの作品は、卒業制作の中から台東区長奨励賞を受賞しました。
2026年2月初旬ごろまで、上野と御徒町を結ぶ地下道のスペースに展示されています。
ちなみに、「路上採集」はその後も続けているという江原さん。最近見つけた気になるものは…?
植え込みが生い茂る中にある消火器ボックスでした。いざの時に取り出すのが大変そう。
でも、江原さんは「ずっと使われていないんだな。ここでは火事が起きていなくてよかったなって」と感じたとのこと。
みなさんの近くにも、「おっ!?」と気になるものはありませんか?
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