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「健康なら力になれる」大学生で骨髄ドナー 2回のオレンジ色の封筒

骨髄移植を考えるイベントで、自身のドナー体験を語る石原純花さん=日本骨髄バンク提供
骨髄移植を考えるイベントで、自身のドナー体験を語る石原純花さん=日本骨髄バンク提供

自分が健康だからこそ、誰かを助けられることがあるならやってみたい――。そんな思いで、大学生の時に骨髄を提供した女性がいます。提供時の痛みなど不安はなかったのか、話を聞きました。(朝日新聞withnews・水野梓)

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サークルの呼びかけ、学内のドナー登録会で

大学時代に骨髄提供を経験したのは、島根県に住む石原純花さん(25)。島根県立大学の看護学科で学んでいた19歳だった2019年の秋、日本骨髄バンクのドナーに登録しました。

献血やドナー登録を呼びかける学内サークル「あかえんぴつくん」の呼びかけを見たことがきっかけ。大学に献血車が来ていたとき、ドナー登録会も同時に開催されていました。

「献血自体はヘモグロビンの値が低くてできなかったんですけど、せっかくだからドナー登録は一緒にしよう、って思ったんです。授業で骨髄提供については学んでいたし、痛みがあったとしても『それは選ばれてから考えればいいか』とも思いました」

出典: Getty Images ※画像はイメージです

すると2020年4月ごろに、患者との白血球の型が適合したというお知らせが届きました。

「オレンジ色の封筒で適合通知が来たときは、『こんなにすぐ来るんだ』と驚きました」と話します。

「でも、もともと『適合通知が来たらやりたいな』とは思っていたんです。大学生だから時間の余裕があるとも思ったし、『やれるなら今のうちかな』とも考えていました」

「あなたが困った時にも提供者が多い」

1度目の適合通知では、検査などに進んだものの、患者さん側の都合で提供までは至りませんでした。

するとその翌年の2021年、再びオレンジ色の封筒が届きました。

石原さんは「白血球には日本人に多い型があると聞いていたので、『自分は多い型なんだなぁ』と思いました」と振り返ります。

サークル「あかえんぴつくん」顧問の渡邉克俊さんからも「あなたが困った時にも提供者が多いということだね」と伝えられたことを覚えているそうです。

出典: Getty Images ※画像はイメージです

病院でさまざまな検査を受け、3泊4日の骨髄提供の入院は、長期休みの時期に行うことになりました。

移植する患者さんは60代の方だと聞いて、「年齢が上の方の移植の治療は本当に大変だと聞いていたので、『私も頑張らなきゃな』って思いました。コロナ禍だったので、絶対にかからないようにしようと感染対策には気を遣いました」と話します。

提供の痛み「痛み止めを飲むほどでもなく」

若い世代のドナー候補のなかには、家族の反対で提供を断念するケースもありますが、助産師でもある石原さんの母は「自分で決めたことならいいんじゃない」と応援してくれたそうです。

骨髄バンクの担当者から骨髄提供のリスクなどの説明も受けましたが、「自分で『やるぞ』と決めたことなので、特に友人たちにも相談しませんでした。さまざまな検査を受けるので、何か問題があるならどこかでストップすると思っていたので、不安もそんなになかったです」と話します。

出典: Getty Images ※画像はイメージです

骨髄提供の手術自体は、「麻酔をかけられた後、気づいたら終わって病室のベッドの上」でした。

「腰には痛みがありましたが、生理の日の腰の重だるさみたいな感じでしょうか……。痛み止めを飲むほどでもなく、退院の時にはほとんど気にならなくなっていました」と思い返します。

大学に骨髄ドナー提供の「公欠制度」が導入されたことで、この制度も利用できたという石原さん。コーディネーターなどから紹介された自治体の支援金も申請し、検査や入院費に支払われる1日2万円の給付を受けました。

「健康だからこそ助けられること」

石原さんの祖父は、表彰状をもらうほど献血を続けていたそうで、それを覚えていると振り返ります。その影響か、石原さんは今も妹とともに、定期的に献血に通っているそうです。

改めて記者が「なぜ骨髄提供や献血をしようと思うのですか」と尋ねると、しばらく悩んだ上で「誰かのためになるなら、という思いがずっとあって。献血も骨髄提供も、『自分が健康だからこそ助けられることがあるならやってみたいな』という気持ちです」と話してくれました。

出典: Getty Images ※画像はイメージです

新聞記事などで石原さんがドナーになったことを知った友人・知人から、「すごいね」と言われたものの、自身では「そこまですごいことをしたとは思ってないですね」と笑います。

「看護の実習では、骨髄提供が適用になる病気の患者さんも受け持たせてもらいました。副作用のつらい抗がん剤治療で入退院を繰り返していて……。それを間近で見ていたという影響もあったかもしれません」

「自分がいつ患者さん側になるかは分からない」

看護学科を卒業後に助産師資格をとり、現在、母と同じく助産師として働いている石原さん。

「出産は100%安全ということはないので、本当に緊張する現場です。それでも、無事に生まれてくる現場に立ち会えると本当にうれしいですし、命は本当に大事だなと改めて感じさせられます」と語ります。

病院で勤務していると、さまざまな患者さんを見かけ、「自分がいつ患者さん側になるかは分からない」と強く感じているそうです。

「普段過ごしていると、ドナーや献血を待っている患者さんのことはなかなか意識しないかもしれません。『実は病気と闘っている人がいて、健康な人なら力になれるよ』というのを知ってもらったら、興味を持つ人は持ってくれるんじゃないかな、と思っています」

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