話題
近所に「迷惑をかけられない」次男を手にかけた父が法廷で語ったこと
限界を超えた介護生活 でも、近所の人びとの声は…

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限界を超えた介護生活 でも、近所の人びとの声は…
「逃げるように引っ越してきた」「迷惑をかけるのが一番いやだった」――。重度の知的障害がある、当時44歳の次男を殺害したとして、殺人罪に問われた78歳の父親の判決が12日に言い渡されます。公判では、限界を超えていた介護生活と、〝近所に迷惑をかけたくない〟という夫婦の思いが浮かび上がりました。一方で、記者が近所の人びとに話を聞くと、違った側面がみえてきました。(朝日新聞記者・良永うめか)
「逃げるように引っ越してきた」
昨夏、重度の知的障害がある次男(当時44)を殺害したとして、殺人罪に問われた被告の父親(78)は法廷でこう語りました。
次男が暴れて近所に迷惑をかけていることを気にかけていたと言います。でも、記者が近所の住民に取材すると、事件の違う側面も見えてきました。
事件が起きたのは千葉県長生村。次男の首をコードで絞め、殺害したとして、父親が殺人罪に問われました。
今年2月。千葉地裁で開かれた初公判で、父親は時々机につかまりながら法廷に姿をあらわしました。
次男の母親も耳に補聴器をつけ、検察や弁護士の言葉がなかなか聞き取れないようでした。
法廷で読み上げられた検察側の冒頭陳述や供述調書、さらに被告人質問からは、そんな高齢の夫婦による次男の介護が限界に達していたことが浮かび上がりました。
次男は自宅にあるテレビを投げ、これまで20台以上壊してしまったこと。
日常的にトイレの前や畳の上に用を足すことがあったこと。
次男はドライブが好きで、父親は朝晩、次男をドライブに連れて行っていたものの、過去に公園の管理事務所に勝手に入ってしまったことなどがあり、ほとんどの公園が「出入り禁止」になっていたこと……。
次男は障害者施設に定期的に短期入所してきましたが、コロナ禍で施設の利用頻度が減った時期もありました。
「追い詰められていつもギリギリの線で生きていました。限界を超えていたと思います」と父親は言葉を絞り出しました。
そして、ある日――。
いつも通りドライブに行こうと次男を車に乗せようとすると、次男は父親の隙をついて近所の薬局に入り、レジのコードを抜いたり、商品を荒らしたりしてしまいました。
「これ以上、周りの人に迷惑はかけられない」と父親は引っ越しを決意したといいます。
一家はこれまでに何回も引っ越しを繰り返していて、長生村にも「逃げるように引っ越してきた」と言います。
そして、こう続けました。「迷惑をかけるのが一番いやでしたから」
家が隣接しておらず、周りにコンビニや自販機がない。そんな条件に当てはまる家を1年近く探し、たどりついたのが、事件が起きた一軒家でした。
引っ越して約1カ月後。父親は次男の首に手をかけました。「もうここで終わりにしよう、楽になりたいと思ったんです」
一方で、近所を記者が取材してみえたのは、父親の想像とは違うまなざしでした。
一家が引っ越す前に住んでいたのは神奈川県小田原市という情報をもとに、記者は引っ越し前に住んでいたとみられる場所や短期入所していた施設などを訪ね歩きました。
引っ越す前に住んでいた住宅の近くの家のインターホンを押すと、住民が出てきました。
「深い付き合いはなかった」としつつも、父親とは顔を合わせればあいさつを交わす関係だったといい、次男のことも覚えていました。
「息子さんのことで大変だったと思う。父親の力では止められていなかった」と振り返りました。
別の近隣の男性は、父親と母親が引っ越しの直前、「家の中をボコボコにされた。(弁償額が)いくらになるかわからない」と漏らしていたと話してくれました。
「もうちょっと関わってもよかったのかな。情状酌量とかないんですかね」。男性はうつむき、こう言いました。「俺、法廷でいつでも証言します」
また別の住民は、昼夜問わず物が壊れる音や、叫び声がすさまじかったと話します。
「(家族も)ご苦労されているんだと思って、ひたすら耐えるしかなかった」
母親からは、精神科病院への入院を断られたと聞き、「どうなっちゃうんだろう」と心配していたと話してくれました。
この住民はスポーツドリンクを記者に手渡し、事件の背景をきちんと取材してほしいと言いました。近所の住民の思いを託されたように感じました。
もちろん、このように心配している住民ばかりではないのかもしれません。
でも、記者が話を聞いた限りでは、近所の人たちは一家のことを「迷惑」というより、心配したり、力になれないかと考えたりしていたように思えました。
今回の事件は、障害者施設への入所を希望していたのに入所がかなわず、父親が追い詰められた末に事件に至ったのではないかとみられています。
いわば、障害福祉サービスという制度の隙間に抜け落ちてしまって起きた事件ではないでしょうか。
それだけに事件の反響は大きく、裁判は連日傍聴席が満席になりました。障害がある子どもを育てている家族からは「人ごととは思えない」といった切実な声も寄せられています。
一方で、記者は裁判を傍聴していて、障害福祉サービスの問題だけではなく、障害者やその家族という「当事者」と、周囲の人たちとの間に、すれ違いがあったのかもしれないとも感じました。
もし、取材で聞いた近所の人びとの声が届いていたら、父親の絶望感をやわらげた可能性もあるのではないか――。今もそう考え続けています。