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AEDが使われなかった理由は…「抵抗なく使える社会に」考える家族
「心肺蘇生」以外にも、できることはあります

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「心肺蘇生」以外にも、できることはあります
ゴールまで残り1km、ひとりの女性ランナーが急に倒れました。心臓が止まっていて、すぐにAED(自動体外式除細動器)が運ばれてきましたが、使われることはありませんでした。命は助かりましたが意識障害が残り、女性は寝たきりの生活を送ります。家族は「抵抗なくAEDが使える社会にしていくにはどうしたらいいのか」と考え続けています。
「決して速くはありませんが、夫婦でマラソンを楽しむ生活をしていました」
京都府に住む柘植(つげ)知彦さん(57)は、そう振り返ります。
2013年12月、地元のマラソン大会で8.8kmのコースを走っていた妻の彩さん(50)は、ゴールまで残り1kmの地点で突発的な心停止に見舞われました。当時39歳の彩さんに持病はなく、突然のことだったといいます。
沿道にいた女性が異変に気づいてすぐに胸骨圧迫(心臓マッサージ)を始め、数分後にはAEDを載せた大会の救護車も到着しました。
AEDは車から降ろされたものの、使われなかったといいます。
のちに柘植さんが大会の主催者に確認したところ、「駆けつけた救護員が男性で、倒れていたのが女性だったから使われなかった」と説明を受けました。
AEDは素肌に直接パッドを貼るため、女性への使用がためらわれることもあります。
しかし、もっとも大切なのは命です。心臓が止まってしまった場合、AEDによる電気ショックが1分遅れるごとに救命率は約10%ずつ低下するといわれています。
下着をずらすなどしてパッドを素肌に貼ることができれば、服をすべて脱がさなくても使うことができます。
服を脱がせた場合でも、パッドを素肌に貼った後なら上からタオルや服をかけて隠しても問題ありません。
ほかにも、救助者が何人もいる場合は人垣を作って周囲の目から隠したり、救助の様子をスマートフォンで撮影しようとする人に声をかけてやめるように促したりもできます。
彩さんが倒れてから約20分後、救急車が到着しました。救急隊によってAEDが使われ、彩さんは病院へ搬送されました。沿道にいた女性は、救急隊が来るまでの間、1人で胸を押し続けてくれたそうです。
当日は夫の知彦さんもマラソン大会に参加予定でしたが、熱が出たため彩さんだけが参加していました。知彦さんが知らせを受けて現場に着いたとき、彩さんはすでに運ばれたあとでした。
彩さんの心拍が戻ったのは、心停止から約50分後。脳の広い範囲に酸素が届かず、意識障害が残りました。
現在、まばたきで意思疎通ができるまで回復しましたが、体はほとんど動かせず、在宅で治療を続けています。
「どうしたら性別や年齢の区別なく、手を差し伸べられる社会を実現できるのか」
夫の知彦さんはそう考え続けています。
事故当時、4歳だった一人娘の奏恵(かなえ)さん(15)は、小学校高学年のときに初めて救命講習会に参加し、AEDの使い方を学びました。
夏休みの作文には、次のように記しました。
「決して簡単ではない内容だったが、私は母のことを考えながら一生懸命に取り組んだ」
「子どもも含め、多くの人が心肺蘇生やAEDについてもっと知るべきだと思う。そうすれば、倒れている人が男性でも、女性でも関係なく、救われる命が増えると思う」
「人が持っている優しい心に、こうした知識が加われば、お互いがお互いを助け合うことができると思う」
中学生になった奏恵さんは、葛藤を抱えていました。心肺蘇生法の授業で、心停止で倒れた人を助ける動画が流れたとき、母・彩さんの体験が重なって机に伏せて泣いてしまったといいます。
中学校は地元から離れていたため、入学当時は奏恵さんの境遇を知る人はいませんでした。しかし、仲の良い友達には彩さんの事故や後遺症について伝えてきたそうです。
「みんなそれぞれ何かしらつらいことを抱えているし、自分がかわいそうだというのは発信したくないと思っています。お母さんのことは隠しているわけではないけど、聞かれたら『ついに来たな』と思いながら話しています」
「女性だから使ってもらえなかった」と伝えると、「私だったら使ってほしい」と言う女子や、「女性だからってなんで使ってもらえないのか」と話す男子もいたそうです。
奏恵さんは、小学生のときからずっと「倒れた人にはAEDを使ってほしい」と考え、自らも使いたいと思っていました。
しかし、中学3年生になった今、自分にできる具体的な行動を考えるなかで「いざ救命現場に遭遇したときに自分が使えるかどうか」、悩むようになったといいます。
「お母さんのこともあるし、前までは絶対に私がAEDを使わないとと思っていたけど……倒れている人に触れて心肺蘇生をする前に自分のなかの色んなものがこみ上げてきて、できなくなるんじゃないかなって……」
目の前で人が倒れたら、母の出来事が頭をよぎってしまって行動に移せないのではないか。そんな複雑な思いを抱えるようになったそうです。
一方で、実際に自分が胸骨圧迫をしたりAEDを使ったりできるかは分からなくても、ほかにできることはあるとも話します。
「AEDを持ってきたり、救急車や応援を呼んできたり、無責任だけど誰かに『使ってほしい』と伝えたりすることはできる。AEDを使う覚悟は普段から持っていたいけど、まずは自分にできる行動をすることが大事かなと思い始めました」
依然としてAEDが使われていない現状について、マラソン大会で倒れた柘植彩さんの夫の知彦さんは、「そもそもAEDの仕組みがあまり知られていないのでは」と疑問を呈します。
AEDは、心臓がブルブル震える「心室細動」の状態になってしまった際、電気ショックによってリズムを元に戻すための機器です。パッドを貼るとAEDが自動で心電図を解析し、電気ショックが必要かどうかを判断してくれます。
生物科学を専門とし、京都大学化学研究所の准教授である知彦さんは、講師として高校で生徒たちに授業をする際、彩さんやAEDについても話すそうです。そこで、AEDを人間が作り出した「魔法の道具」と表現するのだといいます。
「AEDは、何もしなかったらまず生き返ることはない人に対して、こちら側の世界に戻してあげられる科学が生んだ『魔法の道具』です。『肌に触れていいのか?』『失敗してしまったら?』とためらってしまうと、その分『魔法』が効く時間を縮めてしまうように感じます」
AEDが使われる社会になるために、柘植さんは教育に期待しているそうです。現在、心肺蘇生法については中学・高校の学習指導要領に盛り込まれていて、日本AED財団などは小学校の学習指導要領にも採り入れるよう求めています。
「例えば、小学校高学年から高校生まで9年間、児童・生徒に心肺蘇生講習や、命の大切さを教える授業を毎年続けたら、蘇生が必要なときに、性別に関わらず『AEDを使って!』『AEDを使おう!』と叫べる世代が現れます」
「AEDを使うことに抵抗なく、誰もが一緒に助けの手を差し伸べられる社会になってほしいと思います」
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(※)Ishii M, Tsujita K, Seki T, et all; Japanese Circulation Society with Resuscitation Science Study (JCS-ReSS) Investigators. JCS-ReSS Investigators. Sex- and age-based disparities in public access defibrillation, bystander cardiopulmonary resuscitation, and neurological outcome in cardiac arrest. JAMA Netw Open. 2023;6(7):e2321783. doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.21783
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