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〝断らない救急〟の医師が遺した言葉…叶わぬ「また会えたら」だけど

膵がんで逝った救急医 取材を続けた記者が思うこと

がんがわかる前の太田凡さん(中央)。若い医師への指導も熱心だった=2023年2月、京都府立医大提供
がんがわかる前の太田凡さん(中央)。若い医師への指導も熱心だった=2023年2月、京都府立医大提供

「ステージ4の膵がんと診断されました」――。高度化する医療、高額療養費制度の変更の議論など、医療のかかえる問題に注目が集まっています。そんななか、「断らない救急」という目標を掲げ、患者を助けることに奔走した医師が昨年末、62歳で亡くなりました。医師が目指してきた、〝公平〟な救急医療の在り方とは……。(朝日新聞記者・辻外記子)

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「患者を断らない救急」計画のさなかに…

救急医の太田凡(ぼん)さんがずっとめざしてきたのは、「患者を断らない、分け隔てのない救急医」でした。

2010年に母校、京都府立医科大の教授になり、「同志」は少しずつ増えていました。

2カ所の病院から断られた全ての患者を府立医大で受ける、小さなエリアから始めて広げていく……。そんな計画を練っていました。

そのさなか、2024年12月24日、太田さんは自宅で亡くなりました。

膵がんの診断を受けた太田凡さん。病状が安定していた頃=2024年9月27日、京都市、辻外記子撮影
膵がんの診断を受けた太田凡さん。病状が安定していた頃=2024年9月27日、京都市、辻外記子撮影

回復し、安定していた数カ月の間に、大事にしたのはこれまで通り、患者を診ること。救急医療の現場。患者を救い、仲間の医師らの負担を軽くしたいという思いからでした。

「病気になった自分ができることをする」と何度も口にしていました。

死後は、「医学生の実習に役立ててほしい」との本人の希望通り、遺体は献体に送り出されました。

「ステージ4の膵がんと診断されました」

記者が太田さんと初めて会ったのは、2007年秋。東京大学医療政策人材養成講座(HSP)を受講するなか、救急車の搬送困難事例をどうしたら減らせるか、議論を重ねました。

当時、太田さんが務めていたのは救急車を断らない、神奈川の湘南鎌倉総合病院。

「うちの病院、見に来ませんか」と誘ってくれ、私は「断らない救急」の必要性と過酷さを知りました。

昨年4月、私が大阪に異動したと知り、太田さんは連絡をくれました。

「3カ月前にステージ4の膵がんと診断されました」

会ってお話を聞きました。

このとき改めて府立大に移った理由を聞くと、「救急車を断らない文化を広め、社会を変えたい。挑戦しようと思いまして」と語ってくれました。

後進に「分け隔てなく診よう」と言ってきた

途絶えた連絡が再開したのは9月。「だめかと思うほどに悪化した後、薬が見つかり、良くなりました」

9月末にお会いすると、ゲノム医療による劇的な回復ぶりを見せてくれました。

当初は記事化を考えていませんでしたが、途中から「書かねば」という思いがわいてきました。

率直に太田さんに投げかけると、「任せます。何を書いてもかまいません」と即答してくれました。

【記事はこちら】膵がんステージ4の医師 ゲノム医療で回復した「自分にできること」

ただ、その後、病状は悪化しました。12月19日に自宅におじゃますると、どんな質問にも丁寧に答えてくれました。

なかでも感極まったやりとりは、「救急医の後進に伝えてきたこと」でした。

「若い人の外傷のほうが高齢の寝たきりの人を診るよりも価値があると思いがちですが、そうではありません。分け隔てなく診ようと仲間に言ってきました」

ゲノム医療で見つかった薬で回復し、大学にも通えていた頃の太田凡さん=2024年9月27日、京都市の京都府立医大、辻外記子撮影
ゲノム医療で見つかった薬で回復し、大学にも通えていた頃の太田凡さん=2024年9月27日、京都市の京都府立医大、辻外記子撮影

太田さんは、公平を追求する人でした。必要な救急医療を全ての人に、高度ながん医療の恩恵を多くの人が受けられるよう――。思いは最後までぶれませんでした。

「また会えたら」。部屋を出る私に軽く手をあげ、いつもの笑顔で太田さんは言いました。

それから5日後、太田さんは亡くなりました。

「太田先生なら、何と言うだろう」

家族らの悲しみはいかばかりか。記事を今書いてよいものか迷いましたが、太田さんの妻に連絡すると「太田の生きようと努力した証しをどうかよろしくお願いします」との言葉をいただきました。2月に記事を掲載しました。

【記事はこちら】膵がんステージ4の医師 ゲノム医療で回復した「自分にできること」

医療は進化を続けます。しかし、救えない命もまだまだ多いのが現実です。

そして医療の高度化は、費用が増えていくなどの新たな課題を生んでいます。

この先、医療における「公平」の実現はさらに困難になり、取材時の悩みも増えるだろう。行き詰まったら「太田先生なら、何と言うだろうか」。あの笑顔を思い出し、考え続けようと思います。

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