「サードーガーシーマ!」
いま全国の子どもたちがまねをしている決めゼリフで人気なのは、チャンネル登録者数80万人超のユーチューバー「けえ【島育ち】」さんです。生まれ育った新潟県佐渡島の話をコントにして投稿しています。人気は佐渡島でのリアルイベントに子どもたちが押し寄せるほどに。けえさんに話を聞きました。
――けえさんはどんな子どもでしたか。
小学生のときの夢は漫画家でした。主人公たちが漫画家を目指す漫画「バクマン。」が好きで、休み時間にクラスのみんながドッジボールをやっているのに、僕は1人で教室に残って漫画を描いていました。
――YouTubeとの出会いも小学生のころ?
小学3年、4年生のころにパソコンで見るようになりました。古いパソコンで画面がカクカクして全然動かないときもありましたけど、HIKAKINさんの動画はよく見ていました。
HIKAKINさんをはじめ、動画の中で大人たちが自由にやっているのが楽しそうだなぁと思ってみてました。
――高校まで佐渡で過ごして、大学進学で千葉へ。
大学で、自己紹介があるじゃないですか。最初は僕、新潟出身って答えてたんですよ。
ちょっと恥ずかしくて。佐渡島出身を隠してました。だけど友達に聞かれるんですよ。「新潟のどこなん」みたいな。
――そこで初めて佐渡島出身と伝えた?
そうです。「佐渡島っていう島出身なんだよ」と打ち明けたら「田舎者」って馬鹿にされると思ってました。
でも、それが全くの逆で、「おもろいやん」「どんな島なの」って食いついてきた。セブンイレブンがない、マクドナルドがないと伝えると、さらにおもしろがって聞いてくれた。佐渡島がきっかけで友達が増えた。
マイナスだと思っていたことが、武器なんだと気づかせてくれました。
――YouTubeを開設するきっかけは?
大学1年生のときはコロナ禍で、対面授業が始まったのは6月か7月ぐらい。医療系の大学だったのですが、接触を伴う実習系が一切できなかった。
自分の将来を考えたときに、本当にこの道がいいのかなと真剣に考えるようになりました。それで、いつかやってみたいと思っていたYouTubeを始めてみようかなと。
――2021年12月26日にYouTubeを開設します。テーマは最初から佐渡島だったのですか?
最初から佐渡島の動画を作ろうと決めていました。佐渡島の良さは、まず雄大な自然があって、島でしか見られない絶景がある。島には心の温かい人がたくさんいる。
これまでの佐渡島のPR動画って、佐渡島のいいところばかり紹介しているので、僕は、いいところも悪いところも伝えようと思って始めました。島には電車はないし、空港は運休中(リニューアル中)だよみたいな。
大学の友達の中には、佐渡島って伝えても「どこの県なの」っていう人もいましたから。
――最初のころはどんな動画を投稿していましたか。
やり始めたころで転機になった動画に、山手線の全駅で佐渡おけさを踊ってみたという動画があります。
数字的にはそんな伸びなかったですけど、「変な若者が現れたぞ」「どこの誰だ」みたいな感じで話題になりました。
――バズるきっかけになった「超田舎者シリーズ」はどうやって誕生したのですか。
3歳下の弟・こうたに相談したことがきっかけです。こうたは当時、新潟市の高校に通っていて、市内で寮生活をしていました。
こうたに電話で「YouTubeを始めたんだけど、なかなか再生数が伸びないんだ。どうしようかな」と話したら、「コントをやってみれば」と言われました。佐渡島出身って聞いたら驚くみたいな感じをやってみようって。
――それがいつぐらいですか。
2022年の7月かな。YouTubeを始めて半年ぐらいのときです。こうたと電話した次の日ぐらいには、コントの動画を投稿しました。そうしたら、結構反響があったんです。
「これだ!」と思って、7月は1カ月ぐらい休まずコントばかりを上げ続けました。すると、一気に登録者数が1万人を超えました。
――けえさんの代名詞ともいえる「サードーガーシーマ!」はどのタイミングで誕生したのですか。
こうたと電話してた時に「サードーガーシーマ」って叫んだらおもしろいんじゃないって言い出して。たしかにおもしろいかもと思ったら、さらに「最後に小さくもう1回、サドガシマ」ってつけてみたらと。
キャッチーだし、すごくいいんじゃないかと思いました。
――佐渡市の行政のみなさんとのコラボ動画も人気です。そのきっかけは。
僕自身、お堅い人がまじめにふざけている動画が好きなんです。
最初は佐渡島の動画を上げ続けたら、佐渡市の佐渡観光交流機構の偉い人に呼び出されましたという動画を作りました。
怒られると思ったら、歓迎してくれたという内容なのですが、それが100万回再生までいったんです。やっぱりこれ面白いじゃんと思って。こういうのは僕のチャンネルだからこそできるんだと。
お堅い人を崩していくような動画を作っていこうと思うきっかけになりました。
――よく佐渡観光交流機構が協力してくれましたね。
最初はユーチューバーとのコラボなんてやめといたらみたいな感じだったと思います。僕から「ぜひやらせてください」という電話をかけてお願いしました。
佐渡観光交流機構の方が、「やりたいならやってみたら」とすごく協力してくださいました。だから好き放題編集して配信したら、「おもしろいね」って言ってもらえて。佐渡市の人たちにも認められていくきっかけになりました。
――ついには佐渡の渡辺竜五市長も動画に登場するまでに。
次は市長とも何かできるのではと思って。企画書を作って、市に提出して、実現させました。市長も「何をやってもいいよ」みたいな感じで、市長の名前をいじったりして楽しくできました。
――そして2024年3月10日の「さ(3)ど(10)の日」にあわせて、佐渡島でイベントを開きます。
YouTubeを始めたときから、「登録者数が増えたら、佐渡島でイベントしてたくさんの人に来てもらいたい」という夢がありました。佐渡島の観光客があんまり増えていないというのはよく聞いていたので。
高校の先輩が佐渡市役所で働いていて、一緒にご飯を食べたときに話したところ、「一緒にやってみようか」という話になったんです。
佐渡観光交流機構の方と「奇抜なイベントにしたいよね」という話をして、入場料を310円にしたり、310円札を作って、それで買い物をしたりと、いろいろ考えました。スポンサーを集めるために1日に何件も回って、準備に3カ月ぐらいかかりました。
――イベント当日は佐渡おけさの笠をかぶったり、佐渡Tシャツを着たりした子どもたちが島にたくさん訪れました。
島外からの子どもで島があふれかえっている、自分が小さいころは見たことがない景色でした。「佐渡を盛り上げたい」が形になって、島の人が喜んでくれたのもうれしかったです。
――こうたさんとはいつから一緒に動画を制作するようになったのですか。
僕が大学4年生になったときに、こうたが大学進学で上京して、一緒に住むようになりました。撮影の協力や編集してもらうようになって自然と一緒に作るようになりました。こうたはネタや台本を考えるのが僕より得意なので。
登録者数が10万人ぐらいだった大学3年の冬ぐらいから、YouTuber事務所のUUUM(ウーム)にいろいろサポートしてもらうようになって、卒業とともにUUUMの所属になりました。
――2024年夏には佐渡島でバスツアーを開きます。
僕にとっては「当たり前」の景色を、参加者のみなさんがすごく喜んでくれました。とくに、切り立った崖で有名な尖閣湾のクルーズに出たとき、子どもたちは景色や魚に大興奮で話を全く聞いてくれなかった。それが逆にうれしかったですね。
佐渡島に若い旅行者は少なかったけど、見に来てくれたら絶対に満足させる自信があったから。
――2024年に佐渡島の金山が世界遺産に登録されました。
いろんな人の努力が実ったのはうれしかったですね。でも世界遺産の決定が7月だったので、すでに多くの人の夏の予定は決まっていて、佐渡への旅行を考えた人は少なかったと思います。
だから僕は、1年後の2025年の夏が勝負だと思っています。僕も何かお手伝いができたらうれしいですね。
――今後の目標は?
登録者数100万人です。さらに大きな目標は佐渡にちなんだ310万人です。
これからもイベントも企画して、いつか佐渡島に新潟出身のHIKAKINさんに来てもらえたらうれしいですね。