連載
#22 名前のない鍋、きょうの鍋
子ども用に取り分け食べやすく…時間差で囲む家族の〝名前のない鍋〟
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、東京・日野市で福祉施設を運営する女性のもとを訪ねました。
大高美和(おおたか・みわ)さん:1982年、岐阜県土岐市生まれ。女子栄養大学卒業後、管理栄養士として病院に就職する。2010年に結婚、妊娠。臨月で胎児の発育不全が判明し、出産後に障害児であることが分かった。2018年にNPO法人『ゆめのめ(https://www.yumenome.tokyo/)』を設立、重症心身障害児のデイサービスを行う施設を運営している。東京都日野市在住、夫、二子と暮らす。
台所に入れてもらえば、今夜の鍋の具材がずらりと並んでいた。
「この大根、近所の農家さんの収穫体験でいただいたんです。他に、にんじん、きのこ、鶏肉。ブロッコリー……じゃなくて、名前なんでしたっけね。私、管理栄養士だけど料理は苦手で、食材の名前もすぐ忘れちゃって。管理栄養士だからって料理が得意なわけじゃない、そういう人もいるって書いてください(笑)!」
取材を始めてからというもの、大高美和さんの話には「(笑)」が絶えない。9歳になる息子の湊介(そうすけ)君が「ねえ、チーズ! チーズも入れてよう」とねだってくる。
「はいはい、その前にコンソメ入れて、お鍋かきまわしてよ」
キッチンに立つふたり。湊介君、なかなか手つきが慣れている。
きょうの鍋はトマトの鍋。好みの肉野菜を入れてコンソメキューブでベースのおつゆにし、カットトマト缶を入れてしばし煮込めばできあがりだ。
「何回も作ってるんですけど、レシピ覚えられなくて。コンロの前に本を置いてやってるんですよ。水は何カップだっけ……こんなレベルで、ホントすみません(笑)」
お会いしたばかりなのに、どうもそんな気がしない。壁やバリアといったものをまるで感じさせない、話しやすい方だなあ……というのが第一印象。
「きょうはキャベツもあるから入れちゃいましょう」と、鍋の具材はかなり自由のようだ。
使われていた鍋は象印の「グリルなべ」で、鍋にもなれば、ホットプレートとしても使えるもの。
「直火にかけられるのが便利。随分長いこと使っています。もう10年ぐらいかな?」
お鍋が煮えてきたら、3点セットの登場となる。キッチンばさみ、煮えた具を細かく刻むチョッパー、さらに細かくすりつぶすためのミルサーだ。
煮えた具をチョッパーに入れて細かく刻む。必要であればミルサーでさらにすりつぶす。
この日はさらにブレンダーにもかけて、鍋の具をポタージュ状にする。葉物野菜が多いと繊維質が多いため、なめらかになりにくい。
大高さんの長女、12歳になる芽彩(めい)さんには障害がある。
ひとりで歩くことはできない。食事を飲み込むことはできるが、噛むのはむずかしい。だから細かく刻んだり、すりつぶしたりの手間が必要となる。
「小さい頃、母乳から離乳食に進むときはもーっと大変だったんです。何をどうしていいか分からない。どうしたらこの子が食べやすいのか、食べてくれるのか分からなくて、手探りで」
大高さんはあっけらかんと言って、笑った。
彼女のセーターを芽彩さんが引っ張る。「あ、もっと食べるー、めいちゃん?」と声がけして、もうひとさじ。飲み込んでから芽彩さんは、にっこりと笑った。
大高さんは今年41歳になる。
岐阜県にあるご実家は洋食レストランを営まれていて、ボリュームたっぷりのオムライスが名物だそう。
「『量で勝負!』って感じのお店で、ご家族で来る人や、学生さんが多いんです。私は作ることは好きじゃなかったけど、食べることは大好きな子どもで。食べたいものを言ったらすぐ出てくる、そんな環境でした」
高校時代、「食に関すること」を仕事にしたいと思った。食を通じて人を笑顔に、健康にできたらいいな、と。東京の女子栄養大学を志望し、合格する。在学中は東京ディズニーランドでのアルバイトにも熱中した。
「研修中、『笑顔がいいですね』って褒められたんです。今まで言われたことなかったし、あまり人に興味を持つこともなく生きてきたんですよ。だけど、私でも役に立つのかな、って」
そう思えたことが自信に繋がり、最終的にはスタッフを指導するリーダー的立場も任される。大学卒業後は管理栄養士の資格を得て、病院の栄養課に就職した。
「いくつかの病院で働き、最終的にはターミナルケア(終末期医療)での食事調整を受け持っていました。嚥下障害の患者さんがどうやったら食べやすくなるか工夫しつつ、少しでもおいしく、満足してもらえるよう考えて」
毎食が最期のひと口になるかもしれない、という状況の中で働いた。患者さんたちは、食べられたとき実に嬉しそうな表情を見せる。やりがいのある日々だった。
28歳のとき、合コンで出会った消防士の夫と結婚する。
同年妊娠が分かり、臨月に里帰りをした。地元の病院で受診したら、担当医から「すぐ県立病院に行ってください」と言われてしまう。
「羊水もないし、体がすごく小さい。今までの診断で小さいと言われませんでしたか、って。県立病院では『おそらく脳に障害があります』と言われて。頭が真っ白になりました」
数日後に自然分娩は無理と診断され、帝王切開で出産。芽彩さんは1836gでこの世に生まれる。
「障害があるだろうと言われたその夜だけ、泣きました。けれど、はじめて芽彩と顔を合わせたとき、『あ、かわいい……』って思ったんです。この子は障害を持って生まれてきた。治ってほしいとか思ってしまったら、存在を否定してしまうことになる。つらいことも当然ありましたけど、泣いちゃいられないですよね。この子を守らないと」
大高さんは思いを一度に、淀むことなく話してくれた。どれだけの自問自答が今までにあったことだろう。
時間が経つにつれ、他の子にできることが、我が子はできないと明らかになっていく。
「つたい歩きをしますか」「簡単な言葉がわかりますか」
母子手帳のチェック表が、苦しかった。
「泣いちゃいられないという思いに至れるまで、私は10年かかりました」
鍋がぐつぐつと音を立て、湯気を上げる。
「お鍋は一度にいろいろ煮られるのがいいですね。私が芽彩の分を作っているときでも、湊介がひとりで食べられるし。パパはきょう夜勤ですけど、そうじゃない日は買いものや料理もしてくれて。私がやろうとすると『台所が汚れるからやるな』って言うぐらい(笑)。でもパパのお鍋は野菜が少なくてねえ……」
大高さんは現在、『ゆめのめ』というNPO法人の代表をつとめており、重症心身障害児のためのデイケアルームを運営されている。
開設したのは2019年のことだった。障害のある子が子どもらしく過ごせる場所、そして親御さんが預けられる場所があまりにも少ない。
「ならば自分たちで作るしかない」という思いで、有志と共に立ち上げた。
「障害のある子を持つ親が働けて、なおかつ自分の時間も持てないと始まらない。そうじゃないと、心がもちません」
同じ思いをしている親御さんが、安心して預けられる場所を作りたい。そして障害児の家族が横のつながりを持てることも必要だという思いが、大高さんを突き動かしている。
「『フローラ』は0~18歳までの子が対象なんです。特別支援学校を卒業した後の居場所も必要と感じて、超小規模ですが『日野坂キャンパス』というデイサービスの施設も去年(2022年)立ち上げました」
ここで話は一番最初に登場した、大根に戻る。
「近くの農家さんに収穫体験させてもらったのは、施設の子たちなんです。小学校などでよくあるでしょう? 同じように体験させてあげたいな、と思ってお願いしてみたら『全然いいよ、おいでよー』って、即OKで」
大高さんは「助けてくれる人も、いっぱいいます」と言葉を続けた。障害があるからと遠慮するのではなく、こちらからお願いしてみると受け容れて、助けてくれる人もいるのだ、と。
展望はさらに広がっている。
「私たち親の亡き後も、娘がおいしいもの食べながら、みんな一緒にわいわい暮らせるような場所を作っておきたいんです。そういうケアハウスを作るまで私、死ねないなあ……」
そう述べて、大高さんはまたカラッと笑った。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
1/110枚