東京メトロやJRの駅がある四ツ谷。丸ノ内線のホームの端から中央・総武(各駅停車)線三鷹方面行の電車を眺めると、印象的なレンガ造のトンネルに入っていくことに気づきます。実はこの「旧御所トンネル」、戦争と深い関わりのある遺構という面もあるのです。一体いつ、何のために作られたものか、JR東日本、鉄道博物館を取材しました。(withnews編集部・朽木誠一郎)
東京メトロ丸ノ内線の四ツ谷駅は珍しい地上駅の一つ。この駅の荻窪方面行のホームからは、JR中央・総武(各駅停車)線を走る電車を見ることができます。
ホームの窓の外に並走するJR中央・総武(各駅停車)線。ここで、ホームの端まで移動すると、印象的な光景が目につくはず。三鷹方面行のJR中央・総武(各駅停車)線の電車が、赤レンガ造で、緑の植物が茂る、古めかしいトンネルに吸い込まれていくのです。
このトンネル、名前は「旧御所トンネル」。実は、赤坂御用地の一部の地下を通るトンネルです。
このトンネルは作家の小池壮彦さんの『異界の扉』(2004)でも紹介されており、まさに“異界トンネル”と呼ぶべき雰囲気があります。
また、駅が入り組む位置関係的に、丸ノ内線の四ツ谷駅ホームからしか、このトンネルを間近に見ることはできません。
このように、見えるのは東京メトロの駅からですが、走るのはJR。そこで、このトンネルについて、JR東日本を取材しました。
JR東日本の広報担当者によれば、旧御所トンネルの全長は317m。JR中央・総武(各駅停車)線の三鷹方面行のみが走ります。竣工は今から100年以上前、明治時代とみられています。
一方、鉄筋コンクリート造の「新御所トンネル」(全長385m)もあり、こちらは1929年竣工。中央(快速)線とJR中央・総武(各駅停車)線千葉行が走っています。
旧御所トンネルは、JR四ツ谷駅からは「死角になっていて見えづらい」と言われます。念のため見えるスポットがないか聞いてみましたが、やはり「敷地内におすすめできるポイントはない」という回答でした。
ちなみに、旧御所トンネルも信濃駅側、約27m分は鉄筋コンクリート造になっているそうです。
『鉄道路線変せん史 探訪パートⅢ』(1982)の記載によれば、学校法人の学習院から運動場拡張のための要望があり、新御所トンネル建設とあわせて工事されたものであるとのことでした。
鉄道博物館の協力を得て、資料に当たり、旧御所トンネル建設の経緯を追ってみました。
まず、鉄道博物館発行の『中央線ものがたり~去りゆくオレンジ色の電車と変わりゆく町~』(2008)によれば、中央線の前身は「甲武鉄道」。
1889年4月に新宿~立川間、8月に立川~八王子間を開業し、以降も延伸を繰り返しました。
このうち、当時の陸軍省の軍用線の駅として、1894年に青山(軍用停車場)を設置。東京の第一師団と近衛師団など諸部隊がこの停車場を起点ないし中継点として、兵や馬、その他資材を広島へ、そこからは軍用船で大陸へと運んだそう。軍用線の管理は甲武鉄道が受託していたということです。
『東京鉄道遺産「鉄道技術の歴史」をめぐる』(2013)や『東京鉄道遺産100選』(2015)によれば、この延伸の際に、赤坂御用地の敷地の一部などにトンネルを通す必要が生じ、同じ1894年に建設されたのが旧御所トンネルということでした。
1894年は日清戦争の年。一部とはいえ「赤坂御用地の地下を通る」という極めて異例のトンネルは、戦争を背景にした権力のバランスによって建設されたとみられています。
また、『東京人』2012年3月号の「東京鉄道遺産100選定委員」座談会などによれば、千駄ヶ谷駅の近く、JR中央・総武(各駅停車)線の線路と首都高四号線の間には、青山軍用停車場の名残となる側線も残されています。
普段、利用する駅の中にある戦争の遺構。世界では悲しいニュースが続きますが、どこか他人事に感じてしまうこともあるでしょう。近くに立ち寄った際には、当時の日本を覆っていた雰囲気に、思いを馳せてみるのもいいかもしれません。