連載
#31 #まぜこぜ世界へのカケハシ
「正解の音」に感動…耳が聞こえない漫画家が駅でかなえた〝夢物語〟
未来への希望をもたらしたテクノロジー
耳が聞こえない漫画家が描いた、一本のエッセー作品が、ツイッター上で話題です。駅でかなえた、夢かと思うような体験。最新のテクノロジーが実現した、かけがえのない出来事について、作者に話を聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)
9月2日、5ページの漫画「“正解の音たち”」がツイートされました。難聴の主人公が、自己紹介をする場面から始まります。
耳が不自由な人々の聞こえ方は様々です。主人公の場合、補聴器を使っても、音の出どころや方向、内容を知ることができません。環境音の理解は、口話(相手の唇の動きから会話内容を推測する方法)が通用しない分、特に困難を極めます。
だから街中で出合う音に、漫画で知ったアナウンスの定型句や効果音を、頭の中で当てはめてきました。鉄道駅のホームなら、「これは、『ドアが閉まります』」「あれは、電車が通る音」といった具合です。それでも、限界はあります。
聞こえない私が、全ての音を知るなんて夢物語のよう――。主人公は一人、物思いに沈みます。
ところがある日、主人公は意外な体験をすることになりました。JR上野駅のホーム上で、「エキマトペ」を見つけたのです。
エキマトペとは、聴覚障害がある人向けに、環境音をモニター上で視覚化する機器。ろう学校の生徒らの声から生まれ、「駅」と擬音を意味する「オノマトペ」を合わせた名称です。今年6月から12月まで、同駅で実証実験が行われています。
「まもなく1番線に快速電車がまいります」「ヒューン」。列車到着時のアナウンスや車両の走行音が、漫画の描き文字のようなフォントと、手話を駆使する駅員の映像で表現される。そんな仕様に、主人公は驚き、胸を高鳴らせます。
「すごいなぁ 知らなかったことばかりだ」「これが正解の音たち!!」
聞こえなくても、全ての音をその場で知ることができる日が、いつかやってくるかもしれない……。エキマトペの画面上で、乗客に一礼する駅員に感謝しつつ、主人公は帰路に就くのでした。
10万近い「いいね」を獲得した、今回の漫画の作者は、うさささん(@usasa21)です。生まれつき耳が聞こえない「ろう」の当事者で、代表作に娘との日常を描いた「耳が聞こえないマッマと耳がきこえるムッスメ。」などがあります。
世界にあふれる音や声を聞き取ることができない、うさささん。外界との重要な接点の一つが文字情報です。例えば乗車中の電車が遅延した際は、車内の液晶モニターやツイッター上の表示を見て、事態を把握してきました。
ただ遅れた理由や運転再開までの時間、振り替え輸送の実施状況など、先々を見通すための手がかりが書かれているとは限りません。「環境音を含めて、こうだろうと予測して乗り切っていますが、それができないときが一番困ってしまいますね」
転機は今年8月15日、上野駅で訪れました。エキマトペを通じて、どんな音声が駅構内で流れているか、ごく自然に理解できたのです。電車の走行音などが、臨場感あふれる字体の擬音語でつづられる点にも、心を動かされたといいます。
「テレビにも字幕がつくのですが、『(嵐の音)』と表示されたら、『ビュゥウウウウなのかな……? いや、ゴウゴゥ……?』などと予測しなければなりません。最近は『(怯(おび)える音)』という文字列を見て頭を抱えました」
「でもエキマトペの表現は、とても分かりやすくて面白い。あの機器だからこそできることなのだと思いました」
耳が聞こえる人に、とても近い形で駅のホームに立てた――。うさささんはエキマトペに出会った日の喜びについて、そのように振り返ります。当時抱いた感慨を漫画に込めて発表すると、読者から様々な反応が寄せられました。
「エキマトペは必要なのかな? と思っていた。でも、この漫画を読んで考え方が変わった」「補聴器をつけていれば聴者と同じように聞こえると思っていた」。障害の有無を超えて、人々の心と心をつなげることができたのです。
「全ての音を知られなくても仕方ない。エキマトペは、そう諦めていた私に、未来への希望を持たせてくれました。そして自分が描いた漫画が、みなさんの考え方を変えるきっかけにもなり、何よりもうれしいです」
今回の作品は意外な交流も育みました。うさささんのツイートに、エキマトペ上の文字やイラストを考案した企業・方角(川崎市中原区)関係者がコメントしたのです。機器のデザインと、漫画の制作。互いの功績に謝意と敬意を表し合いました。
返信を書き込んだのは、同社代表取締役の方山れいこさんです。エキマトペの開発に携わるまで、福祉との縁はなかったといいます。聴覚障害がある人が認識しやすいよう、情報をビジュアル化する方法を、試行錯誤しながら検討したそうです。
「昨年9月にプロトタイプが完成し、JR巣鴨駅に3日間設置しました。すると当事者の方々から好意的な反応が多く寄せられたんです。一方、『文字だけだと意味がわかりにくい擬音もある』といった意見もいただき、何度も改良を重ねました」
耳の聴こえない、聴こえづらい方への駅の案内を視覚的にわかりやすくする装置「エキマトペ」のデザイン・手書きアニメーションを担当させていただきました。
— 方角方山 / Hogaku inc / ㍿方角 (@denkiry) September 13, 2021
駅の音やアナウンスがリアルタイムでオノマトペとして現れるとてもユニークな施策です。
9/13-15の3日間、JR山手線巣鴨駅にて限定公開中。 pic.twitter.com/AzdmFVq7BP
エキマトペには10種類のフォントが搭載されています。電車が到着するとき、「ヒューン」というオノマトペが、風を切るように勢いよく現れるなど、周囲の環境と文字の動きが連動する仕組み。音声を体感的に理解してもらうための配慮です。
一連の取り組みを経て、方山さんの人生も変化しました。ユニバーサルデザインを意識するようになり、耳が不自由な人物を社員として迎えるなど、仕事の幅が広がったそうです。ツイッター上で、当事者やその家族と交わる機会も増えました。
「うさささんの漫画と言葉に触れ、涙が出るほどうれしく、励まされました。耳が聞こえない方々は、聞こえる人中心の社会で生きるため、相当な努力を重ねています。その労力が必要なくなるよう、デザインで状況を変えたい。そう思います」
1/19枚