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連載

#11 名前のない鍋、きょうの鍋

鍋の素は使わない、段取り上手のスンドゥブ 22歳の〝名前のない鍋〟

「料理を作る工程が好き」

「何かが食べたいというより、その何かを作る工程が好きで料理することが多い」という汐梨さん
「何かが食べたいというより、その何かを作る工程が好きで料理することが多い」という汐梨さん 出典: 白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

今回は、美大の卒業を目前に控えた、ひとり暮らしの女性のもとを訪ねました。

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名前のない鍋、きょうの鍋
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石原汐梨(しおり)さん:2000年、栃木県佐野市に生まれる。県内の高校を卒業後に上京、多摩美術大学に入学する。今年(2022年)の春に卒業、神奈川県でひとり暮らし。

今回取材したのは、『名前のない鍋、きょうの鍋』シリーズで初の、2000年代生まれの方である。取材当時、大学4年生。石原汐梨さんはどんなとき、鍋を作るのだろう。

「何を作るか考えるのが億劫なとき、『きょうは鍋だ!』ってなりますね。辛い鍋が好きです」

よく作るというスンドゥブ(韓国料理の豆腐入り鍋)の仕込みをしながら教えてくれた。億劫と言いつつも、具材それぞれをていねいに刻んでいく。手つきもとても慣れている。

「献立決めが面倒なときでも、作る過程は好きなんです。鍋だったら野菜を刻むところ。何かが食べたいというより、その何かを作る工程が好きで料理することが多くて。餃子なら包む工程とか。友達の家に行って作ったり、招いて作ったりするのも好きです」

大学から始めたひとり暮らしで、料理が大好きになっていった。部屋はロフト付きの1Kタイプ、コンロはひとつ。

キッチンスペースは狭くとも、苦にするでもなく様々な料理にチャレンジしている。冷蔵庫を見せてもらうと、様々な調味料でいっぱいだった。

「もともと食べることは好きでした。母も料理が大好きで。でも実家だと台所は母のテリトリーだったから、ひとり暮らしになって、自分の好きにあれこれ料理できるのも嬉しくて」

さて話はスンドゥブに戻る。
もともとは既製品の「スンドゥブの素」を使っていたが、あるとき「イチから作ってみよう」と挑戦した。

コチュジャンとトウバンジャン、ニンニクとショウガで鶏肉を炒めてから、白菜やネギ、豆腐を入れて煮込んでいくのが汐梨さんのやり方だ。お、トウバンジャンはかなり多め。本当に辛いのがお好きなんだな。

レシピといえば投稿サイトを参考にする人の多い昨今だが、汐梨さんはどうなのだろう?

「あまりしないです。いろんな人が投稿してるものより、食品メーカーさんのサイトとか、料理研究家の方のサイトを参考にすることが多いですね」

たしかに、投稿サイトは良くも悪くも玉石混交。汐梨さんにリテラシーを感じた。ちなみに「白ごはん.com」を参考にすることが多いよう。

そうこうするうち、鍋が煮えごろに。

ニンニクやショウガの食欲をそそる香りが部屋に満ちる。鍋は“取っ手の取れる”テフロンタイプのフライパンをそのまま利用。ちょうどよい深さがあって、1~2人前の鍋としても便利だなと感じ入った。

「豆腐とネギは絶対入れるんですけど、あとはその日あるもので。最後にごま油を加えて、できあがり」

お鍋をいただきつつ、汐梨さんのこれまでをうかがう。

多摩美術大学に入ってすぐ、「これは大変だ」と感じた。
「技術的にレベルが高くて、情熱的な人がたくさんいて……。生半可な気持ちでやっていけるところじゃないな、って」

小さい頃から絵が好きで、建物にも興味があった。気になる家を見つければ、どんな暮らしがそこにあるんだろうと想像するような少女時代。高校生の頃は美大の予備校にも通い、推薦枠から多摩美の建築科に合格する。

「『一生建築でやってく気がないとダメだぞ』と先生に言われて、自分にそこまでの気持ちがあるんだろうかと。進級はいつもギリギリでした」

SNSに上げた汐梨さん作のから揚げ。母親が作っているのを見るうち、作れるようになった
SNSに上げた汐梨さん作のから揚げ。母親が作っているのを見るうち、作れるようになった

時は流れ、就職活動の時期に。志望先は定まらなかった。

「(将来)何をしたらいいのか分からなくて、焦って。何かやりたいことを見つけなきゃとは思うんですけど……。そんな状態だから面接でもやっぱりうまく喋れないんです」

聞いていて、切なかった。
22歳の自分とまったく一緒だったから。バイタリティ全開という感じで入社試験や面接をこなし、内定を得ていく同級生がまぶしすぎて、太陽を見た後視界が黒ずんで何も見えなくなるような、そんな心持ちになっていた当時を思い出す。

汐梨さんのスンドゥブ“味変”3点セット、山椒粉、花椒粉、ラー油
汐梨さんのスンドゥブ“味変”3点セット、山椒粉、花椒粉、ラー油

「働かなきゃいけないな、って思っています。春からは就活をしつつ、フリーターです」

好きな料理を仕事にしようとは、思いませんか。

「調理師や和菓子職人への憧れがあって、専門学校へ通いたい思いもあるんです。お菓子を売って、夜はちょっとずついろんなものを食べられる料理店ができたらなんて夢も。でも趣味程度の私がやっていけるだろうか、とも思ってしまいます。あまり味覚も鋭いほうじゃないし、技術も思いも中途半端で」

このとき、取材中ずっと笑顔だった汐梨さんが少し目を潤ませた。
「ごめんなさい、すみません」とすぐ笑顔に戻られたけれど……。

自分をそんな否定しないでと言いかけたが、それは少し踏み込み過ぎなのかもしれないと思い、心に留めてしまった。

汐梨さんはまだ22歳になったばかり。
でも22歳の人は、今が人生のいちばん舳先なのである。「もう22歳なのに」、あのときの自分もそう思っていたな。

彼女は取材日の翌週が卒業式だった。私のさっきの気持ちが分かったかのように、「22歳はもっと自分を肯定しようって決めているんです」と言われる。

汐梨さんのスンドゥブは、お世辞抜きでおいしかった。辛味が食材の味を邪魔することなく共存して、おいしさの一角を担う良バランスに整えられて。

何より具材が煮える間に、余った白菜は密封容器に入れて冷凍し、肉はラップしてすぐ冷蔵庫に戻し、流しをきれいにするといった「段取り力」も見事で。料理力と同時に「段取り力」を磨ける人は多くはない。その力は各方面の仕事で今後きっと活かされるはずだ。

汐梨さんと料理と人生がこの先、うまくより合わさりますように。そう祈りつつ、お宅を後にした。彼女は晴れやかな笑顔で送り出してくれた。

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416

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