連載
#24 マスニッチの時代
身近な陰謀論、刺激強めの答えに立ち向かう“おすすめない情報”
偏食の沼から抜け出す「サラダもう一品」
知人がどうやら陰謀論にはまりました。わりと自分と近い業界で仕事をしている人だっただけに、ショックが大きいです。誤った情報でも、クリックした瞬間、似たような“おすすめ情報”の沼に引きずり込まれる恐怖は他人事ではありません。膨大なデータによって進化し続けているネットのリコメンドシステムですが、今、必要なのはアンリコメンド、つまり“おすすめない情報”ではないでしょうか。先日、発表された「デジタル・ダイエット宣言」を読み解きながら、言論空間に迫る危機の乗り越え方について考えます。
「デジタル・ダイエット宣言」を考えたのは、東京大教授でSNS上のデータの定量分析で知られる計算社会科学者の鳥海不二夫さんと、慶応大法科大学院教授で憲法学、情報法が専門の山本龍彦さんです。
宣言では、情報を食べものに例えた上で、適度なバランスを意識する「情報的健康(インフォメーション・ヘルス)」の重要性を説いています。
たとえば、身近にあるファストフード。できたてのハンバーガーと揚げたてのポテトをコーラで流し込む幸せを否定することは誰もできません。でも、毎食、その“幸せ”に浸っていると、残念ながら体は悲鳴を上げます。それをわかった上で“幸せ”に浸るなら個人の自由。しかし、あたかも体にやさしい自然食品かのように宣伝するのはNGです。
ネットは、その誤解が起きやすくなります。自分で“体(世の中)にいいもの”だと選んだ情報が、実は相当偏った内容で構成されていることがあるのです。「デジタル・ダイエット宣言」は、情報の流通を担うプラットフォームに対して、「情報の偏食」への対応を求めています。
今回、話を聞いたのは、「デジタル・ダイエット宣言」に携わった山本さんです。憲法学が専門の山本さんは、情報を巡る環境の変化を二つの裁判を例に説明してくれました。
一つは「レペタ訴訟」。これは、法廷を見学する傍聴人にメモを取る権利が認められるきっかけとなったものとして知られます。
もう一つは「よど号新聞記事抹消事件」。判決が確定していない人(未決拘置中)が、拘置所で新聞を読もうとした時、自分の訴訟に関わる記事が黒塗りされていたことに対してその違法性を訴えました。最高裁まで争われ、判決では黒塗りの違法性を訴えた原告の上告を退け、一定の制限を設けることを認めました。
「レペタ訴訟」の判決は1989年、「よど号新聞記事抹消事件」1983年です。どちらも憲法が保証する「知る権利」を考える上で重要な裁判だとされています。
山本さんが注目するのは、二つの訴訟が争われた時代に出回っていた情報の量です。ツイッターもアメブロもnoteもない時代、人々は、今と比べると格段に少ない情報の中で暮らしていました。だからこそ、情報の量を制限する行為が問題になったと山本さんは指摘します。
たとえば、飢えと隣り合わせの時代は、まず十分な食料があることが大事になります。誰かがそれを隠したり、独占したりすることは許されません。同じように、裁判所や刑務所に対しても、十分な情報に接することができる権利が求められたのです。
ところが、今は違います。
ネットには膨大な情報があります。基本、無料です。いわば「情報の飽食」の状態。食べるものに困らなくなると、どんなものを食べるかが大事になります。産地を偽装してないか。体への影響を適切に示しているか。それらに偽りがないことが求められます。
かつて、お金持ちの象徴はふくよかな体形でした。それが今ではバランスのよい食事と健康的な生活を維持できていることがステータスになっています。情報も同じです。陰謀論のような極端な考えを信じてしまうことは、その人の社会生活を危うくしてしまいます。
現代社会において、膨大な情報を整理してくれるのは、検索やSNSなどプラットフォームと言われる事業者です。今や、それらのサービスなしでは生活が成り立たないほど便利な存在です。
山本さんが心配するのは、プラットフォームの事業者が、目を引く見出しや写真など“脊髄反射的な情報”を重視してしまう「アテンションエコノミー(関心経済)」に引っ張られてしまっていることです。
そして、メディアも「アテンションエコノミー」のルールの中、刺激的な情報を増やしてしまいます。その結果、起きるのがフィルターバブルなどと呼ばれる「情報の偏食」です。
「情報の偏食」の何が問題なのか。
山本さんは、学問の立場からそれを解説します。
これまで、憲法学を含めた言論空間において土台にあったのが思想の「自由市場」です。
思想の「自由市場」は、様々な意見を自由に戦わせることで、結果的に“よりよい思想”が生き残るという考えを大事にしています。そのためには、政府などによる介入を少なくすることが重要でした。
ところが、「アテンションエコノミー」の世界になると、“よりよい思想”が“よりよい刺激”に置き換わってしまいます。そうなると、陰謀論のような根拠のない考えであっても、刺激が強いものが正しいということになってしまいます。
これは大げさではなく、「民主主義を脅かすもの」だと山本さんは心配しています。
陰謀論から導き出される答えはシンプルです。タイトルにすると一目瞭然です。つまりクリックされやすい。クリックされやすいとビューが増えます。そうやって「アテンションエコノミー」を放っておくと、“よりよい刺激”が“よりよい思想”になっていくのです。
難しいのは、陰謀論を信じている人に「それ間違っていますよ」と言っても、逆効果になってしまう可能性があることです。かえって反発して、陰謀論をますます信じてしまいかねません。
ここで役に立ちそうなのが、「デジタル・ダイエット宣言」において駆使される食べもののアナロジー(類推)です。
たとえば、ウーバーイーツを頼むと、「もう1品、いかがですか?」という表示が出ます。そこで提案されるサイドメニューのサラダ。これがけっこう重要です。
「もう1品」で現れる商品は、通常のメニュー表示では注文されにくいものともいえます。それをいわば強制的にプッシュしています。
これを、情報に置き換えることはできないでしょうか。
通常のおすすめ情報は、似たようなジャンルのコンテンツが表示されます。陰謀論の記事を読んだ後には同じような主張をしている陰謀論の情報が現れがちです。
このおすすめ情報にあえて別の視点のものを交ぜる。リコメンド(おすすめ)ではなくアンリコメンド(おすすめない)という発想の転換です。
おそらく短期的にはビューは下がります。でも中長期的に考えるとどうでしょう?
ハンバーガーばかり食べる(食べさせる)と確実に体調は悪くなります。体調が悪くなるとハンバーガーも食べられなくなる。それなら、適度にサラダを食べて(もらって)ずっとハンバーガーを食べ続けられる状態に保ってもらった方が、ビジネス的にもいいはずです。
これまで「情報飢餓時代」が長かったことを踏まえると、とりあえず目の前でおなかをすかせている人を何とかしてあげたいという思い自体を否定することはできません。「アテンションエコノミー」の犯人にされがちなプラットフォームですが、情報の飢えから私たちを解放してくれた功績は決して小さくありません。
だからこそ、「情報飽食時代」の新しい“もうけ”を目指す時期に来ているのではないでしょうか。
コロナ禍で苦しむ航空会社において、ある取り組みが注目を集めました。
格安航空会社(LCC)のピーチが5千円でガチャガチャを回すと行き先の書かれた紙が出てきて、それがチケットになるという企画でした。
「旅くじ」とネーミングされたこの取り組み。考えてみると「行こうと思っていない場所」のチケットを買わせるようなものです。ところでが、ガチャガチャの機械を活用したことで、新たな楽しみとして受け入れられました。
コロナによって旅行の自粛が長引く中、旅行そのものへの関心がなくなってしまう。そんな業界の危機感が生んだアイデアだったと言えます。
今では世の中になくてはならなくなったプラットフォームですが、「アテンションエコノミー」を放置していると、コロナ禍における航空業界のような逆風にさらされるかもしれません。
実際、SNSで過激な言葉を使って誹謗中傷する行為に対する規制強化の流れは強まっています。事実にもとづかない刺激的な表現を使ったネット広告を取り締まるケースも生まれています。
健全な言論空間と持続的なビジネスを両立させるヒントとして、アンリコメンド(おすすめない)システムを考えてみるべきではないでしょうか。
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