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連載

#36 Busy Brain

日本の体育は「忍耐教育」小島慶子さんが思う運動を好きになる方法

「『ボールを見ながら適切なタイミングで打つ』なんて高等なことはできません」

小島慶子さん=本人提供
小島慶子さん=本人提供

目次

BusyBrain
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40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが綴る、半生の脳内実況です!
今回は、「体を動かす」が苦手だった小島慶子さんが、「頑張る」「鍛える」に偏りがちな日本の体育に足りない、「楽しむ」ことの大切さについて綴ります。
(これは個人的な経験を主観的に綴ったもので、全てのADHDの人がこのように物事を感じているわけではありません。人それぞれ困りごとや感じ方は異なります)

極端な不器用さに悩む障害

 発達性協調運動障害(DCD)って、聞いたことありますか? まだ日本では専門家にもあまり知られていないそうです。私も最近、日本DCD学会とご縁ができたのがきっかけで詳しく知りました。

 DCDを持つ子どもは、体育の授業についていけない、細かい作業がうまくできないなどの「極端な不器用さ」に悩むことが多く、周囲の大人から、不真面目だとか丁寧さが足りないと叱られて自信をなくしてしまうのだとか。

 DCDと ADHDなどを併せ持つお子さんもいるそうですが、DCDはいわゆる運動音痴などと言われて、医師も気づかないことがあるそうです。診断がついて、その子に合った形の練習をすれば、できるようになることもたくさんあるそうですから、もっと理解が広まるといいなと思います。

 私はDCDかどうかの診断を受けたことはないですが、小さい頃から体を動かすことに苦手意識を持っていました。走ったり跳んだりして、自由に動くのは好きなのです。でも、習い事とかお遊戯とか体育とか、集団で習う場面になるとなかなかついていけず、動きがぎこちなくなってしまいます。何よりもみんなの前でやらされるのが恥ずかしかった。勝ち負けを競うのも好きではないので、競技にも身が入りませんでした。

 なぜだかわからないけれど、足はこう、手はこう、など体の複数の部位を組み合わせて動かすのが苦手なのです。授業で教えてもらっても、他の子のようにすんなりとできません。小学生のときは特に、変な動きになってしまうと笑われるので、とても苦痛でした。

 道具を使うとなるとさらに厄介です。こう持って、こう構えて、あのボールを見て、このタイミングで振る! そのときに手はここ、足はここ、なんて言われると、頭がパンクしてしまう。全部をいっぺんに覚えて、滑らかに動かすことなんてとてもできません。手のことを考えると足が止まり、ボールを見ていると姿勢のことを忘れ、ええと、体のどこをどんな形にして、いつどんな順番で動かせばいいの? もう、わかんないよ!! めんどくさいよ!! となる。「体で覚える」ことができないのですね。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

自分の体の動きをモニターする力が弱い

 診断を受けていないので、自分がDCDなのかどうかはわかりません。そうかもしれないし、そうでないかもしれません。ただDCDの事例を見ると、似たような経験はあったように思います。うんと幼かった頃は、怖くて階段を下りられませんでした。まずは段に座り、足をそろりそろりと下ろして、手で体を支えながらお尻を下ろし、また足を下ろし・・・立ったままトントンと下りられるようになるまで随分かかったような。

 お湯をかぶるときは、洗面器の縁をおでこにコツンと当てて、ゆっくり傾けて確実にお湯が体に当たるようにしていました。頭の上に持ち上げてお湯をかぶろうとすると、洗面器と頭の距離や位置関係がうまく把握できず、傾ける角度やお湯の勢いなんかも当てずっぽうで、うまくできません。腕の力が弱かったせいもあるでしょう。

 のちにテニスを習ったときも「左手を前に伸ばして、ボールとの距離を測って」「ボールをよく見て、タイミングを逃さずちゃんとラケットを当てて」と言われたけど、そもそも距離が測れない。ボールに集中すると体がどこにあるのかわからなくなるし、タイミングを計ろうとすると手足が固まってしまう。「見ながら適切なタイミングで打つ」なんて高等なことはできません。

 公園のブランコもすぐには漕(こ)げるようにならず、友達がぶんぶん立ち漕ぎをしている横で座面の板に腹這(ば)いになり、吊るされた亀みたいに地面ばっかり見てぶらーんと揺れていました。

シーソーは、座面が地面に着きそうになる瞬間と、地面を蹴るタイミングが微妙にズレがちで、板と一緒にお尻が上がったのに、足だけ糊(のり)付けしたみたいに地面にくっついていて、股間を痛打したことも。

 幼稚園のお遊戯ではなかなか振り付けが覚えられず、非常に不貞腐(ふてくされ)れた態度でやる気なく踊っていました。本当は、上手に踊りたかったのです。でもなぜか、他の子みたいにすぐには覚えられないので、いつも自分に腹を立てていました。高校3年の卒業記念ダンスでは伝統的な優雅なダンスをどうしても踊れるようになりたかったので、無事にこなすことができました。どうも積極的な動機があることが大事なようです。

 小学校で流行った和太鼓もちょっと苦手でした。ドンドコ、ドンドコとベースのリズムを刻む時には、右手で「ドン・ド」、左手で「コ」を繰り返さなくてはなりません。私はこれがうまくできません。左手が強張(こわば)ったようになって「コ」が早過ぎたり出遅れたりして、全然安定しないのです。右手も右手で、「ドン・ド」が途中でわからなくなってしまう。今、試しに両手の指で机の縁を叩いてみましたが、少し速くなるとやっぱりダメでした。手足バラバラに動かしてドラムを叩いている人は超人ですね。

 どうも私は、自分の体の動きをモニターする力が弱いようです。いろんな部位の動きを統合する力も弱い気がします。一度やってみて動きを入力したら、次からはいちいち意識しないでも体が動いてくれると楽なのに、手も足もいつまでも指示待ちで、脳みそが動けと言い続けないとダメみたいです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

体育の授業は苦手でも、動機があれば動き回りたい

 私の夫は運動が得意な人なので、何をやっても全体の統率がとれていて、軽い感じでこなせます。スキーで滑る、ラケットで打つ、自転車で走る、キャッチボールもサッカーも、どれもごく自然な感じ。私はどれも下手なのですが、夫曰(いわ)く「慶子は決して運動神経が悪いわけじゃないと思うよ。ただ、自分で勝手に動いているときはいいのに、考え始めるとうまく動けなくなるみたいだね」

 そういえば、夫は私が頼まない限り「こうするんだよ」と教えたりしません。そんなことをしたら私がのびのび動けなくなることをわかっているようです。夫のいいところは、無様な私を笑うことも覚えの悪さに苛立(いらだ)つこともなく、ペースを合わせて一緒に楽しんでくれるところです。そんな調子で息子たちにも教えるので、彼らも体を動かすことが好きになりました。

 もしも子どもの頃にこんな先生と出会っていたら、いろいろ上手にできるようになったのかもなあと思います。縄跳びも、バタフライも、バレーボールも、もっと楽しめたかも。体育の先生は集団を教えているので丁寧に見られないのは仕方がないですが、まずは「変な動きでもいいんだな、失敗しても大丈夫」と子供達が思えるような空気を作れるといいですね。

 体育の授業は苦手だった私ですが、自然の中で遊ぶのは好きです。例えば「この岩のてっぺんまで登りたい」「海の底を見てみたい」「ウォンバットに会いたい」などの動機があると、岩登りもスキューバダイビングもトレッキングも張り切ってやります。

 オーストラリアで小山ほどもある巨大な砂丘をサンドボードで滑り降りては、砂地の急斜面を歩いて登るのも苦にならないし、小さな島を自転車で走ってビーチ巡りをしたり、海に突き出た岩山を素手で登って絶景を眺めたりもします。自然の中では安全さえ確保できていれば、不恰好(ぶかっこう)でもゆっくりでも構わない。誰も他人の見た目を気にしていません。そういう場所では、私はむしろ動き回りたい性質なのです。

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

日本の“体育”や“部活”には「楽しむ」が足りない

 かつての私のように、言われた通りのやり方で体を動かすのが苦手な子どもにとって、学校の体育の授業は難易度が高いのではないかと思います。身体面だけでなく、心理面でもハードルが高い。運動嫌いのきっかけにもなってしまいます。

 「今日はこれを覚えますよ、はいこうして、こうして、こう。では順番にやりなさい」と言われても、動機がないのでは、楽しくありませんよね。スポーツは楽しいものなのに、なぜか日本の体育や部活は「どんな理不尽なことにも耐えろ」という忍耐教育のようになっています。

 次男が小学生の時に入っていたオーストラリアのサッカーチームで、プロのサッカー選手が話をしてくれました。「君たちの中でプロになれる人はほとんどいないし、メッシやロナウドになれる人はほぼ確実にいない。だったらサッカーをやる意味はないのかな? そうじゃないよね、サッカーは人生を楽しむためにあるんだよ。サッカーが好きならいいじゃないか。勝ち負けとか上手い下手じゃなくて、楽しむことが大事なんだよ」と。日曜日に近所の公園で大人に怒鳴られながら練習していた東京の子どもたちを思い出して、日本の“体育”や“部活”には「楽しむ」が足りない気がしました。子どもが運動を好きになることよりも「鍛える」ことや「頑張る」ことが優先されていないかな。

 それは大人が管理しやすい子供をつくる役には立つだろうけれど、子どもの幸せにはなっていない気がします。過去の自分に会えるなら、校庭の隅で決まり悪そうに俯(うつむ)いている痩(や)せっぽちの女の子に「気にしないで。大きくなったら、オーストラリアで砂丘滑りができるよ。へたっぴでも、めちゃくちゃ楽しいよ」と教えてあげたいです。

(文・小島慶子)

写真はイメージです
写真はイメージです 出典: PIXTA

小島慶子(こじま・けいこ)

エッセイスト。1972年、オーストラリア・パース生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『曼荼羅家族 「もしかしてVERY失格! ?」完結編』(光文社)。共著『足をどかしてくれませんか。』(亜紀書房)が発売中。

 
  withnewsでは、小島慶子さんのエッセイ「Busy Brain~私の脳の混沌とADHDと~」を毎週月曜日に配信します。
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