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たった一つのポジション 争った2人の同級生が8年目に出会った場所
「なにしようが、絶対こいつらに勝つ」山形・藤嶋栄介×松本・圍謙太朗
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「なにしようが、絶対こいつらに勝つ」山形・藤嶋栄介×松本・圍謙太朗
エイスケとケンタロウ。中学時代からしのぎを削ってきた2人が、プロ8年目で、初めて同じJリーグのピッチに立った。山形の藤嶋栄介(29)と、松本の圍謙太朗(29)。ともに熊本・大津高の同級生だった。サッカーで唯一のポジションであるGK。試合に出られるのは、1人だけだ。同じ高校の同級生で、GKが2人もプロ入りし、対戦するケースはめったにないことだった。(朝日新聞スポーツ部記者・照屋健)
それは2021年3月14日、J2の山形―松本の一戦だった。185センチを超える2人のGKが向き合った。
「ずっと、ずーっと、話していたんです。はやく、プロのピッチで試合がしたいって」。高校時代、レギュラーだった藤嶋はいう。
一方、高校時代は3番手で、ベンチにも入れなかった圍の言葉にも、力がこもる。
「本当は、コーチとか、お世話になった方も呼びたいね、と話していたんです。でも、新型コロナ(の感染対策)で呼べなくて。ここ(J2)じゃねえぞ、と。もう1個上(J1)で、と神様が言ってくれているのかな」。
初めて会ったのは2人が中学1年の夏。大分県中津江村であった九州のGKを集めた合宿だった。
「誰、このデカいやつ、と思いました」と圍。
宿舎で同部屋だったのが、当時、バスケットと掛け持ちしてGKをしていた藤嶋だった。身体能力が高く、バスケットでも推薦入学できるほどの実力だった藤嶋と長崎県選抜で、熊本のスクールにまで通っていた努力家の圍。導かれるように、2人は大津高へ入学した。
今はともにプロの実力。高校時代はどちらが上だったのか――。そんな質問に藤嶋は少し、間を置く。代わりに、圍は即答した。
「栄介(藤嶋)だと思います。僕、高校のときは、1回もベンチに入っていなかったので。それは間違いなく、栄介」
藤嶋が、振り返る。
「高校時代、謙太朗(圍)は上手い下手のまえに、体のバランスが整っていなかったんです。無理してプレーして、バランスを崩して。だから、試合にもなかなか絡んでこられなかった。でも、ポテンシャルは1番あった」
体力テストでは常に上位で、学校の柔道大会で優勝するほど身体能力が高かった藤嶋に対し、現在、190センチの圍はぐんぐん伸びる成長期に悩まされていた。
「しんどかった。なんでみんな、普通にプレーできるのって、おもったもん。やってても、体が動かなすぎて」
背を伸ばすために筋トレは禁じられ、腕立ては3回しかできなかった。腰にコルセットを巻いてプレーし、思うように動けなかった。高2のときには、辞めようと思った。GKコーチに言われた「お前は絶対、プロになれる」「絶対にやり続けろ」という言葉だけが、支えだった。
当時の大津高には、100人以上部員がいた。GKだけでも、10人以上。競争は、熾烈だった。トップチームに選ばれた者だけがコートで練習し、それ以外のメンバーは、コートの裏に設置された四つのゴールでシュート練習や対人練習を繰り返した。ゲーム練習ができるのは、トップのメンバーが練習を終えたあとだった。
コートの裏でシュート練習を受けていた圍は、ずっと、思っていた。
「絶対、見返してやろうとしか思っていなかった。個人としては、大学までいこうが、なにしようが、絶対こいつらに勝つ、と思い続けてやっていました」
たまたま手伝いをしていたGKスクールの朝練を見た桃山学院大の関係者に誘われ、大学へ。おにぎり5合を持ち歩き、筋トレは毎日3時間やった。体ができあがると、大学2年で全日本大学選抜に選ばれた。そこにいたのは、福岡大に進んだ藤嶋だった。
「謙太朗は入ってくるだろうな、と思っていたので、驚きはなかった。でも、一緒にやると負けたくない気持ちが強くて。すげえな、こいつって。高校のなかでのプレーで、俺は止まっている。急に、大学で一緒にやって、こんなプレーができるようになったのかって」。圍の存在が、藤嶋にも刺激になっていた。
ともに、2013年のユニバーシアードの代表に。同一高校から2人のGKが選ばれるのも、異例のことだった。
3試合ずつ、交代で出場した。そのとき、「プロになって試合をしよう」と約束した。そして、2人ともプロの世界で7シーズンを戦ってきた。
初めてプロで対戦した山形―松本の一戦。結果はともに1失点し、1―1の引き分けだった。翌日、出てきた言葉は同じだった。
「勝ちたかったですね、純粋に。勝たないといけない試合で、勝ちをもってこれなかった。自分の仕事を果たせなかった」と圍。
藤嶋は「納得はできなかった。普段はそんな、感情を表に出すようなプレーヤーではないんですけど、昨日に関しては、自分からやってやろう、という思いが強かったので。引き分けたことは本当に悔しいというのが正直な気持ち」。
大学4年間、そしてプロ入り後、7シーズンを経てJの舞台で再会した2人の物語は、これで終わりではない。藤嶋はユニホームを交換した2ショットをインスタグラムに投稿し、こう記した。
「これからも最高のライバルに負けないように一生懸命に努力して、また同じピッチで試合できるように頑張ります。次は勝つぞ」
ゴールキーパーは泥臭いポジションだ。
チームに1人しかない枠。
試合に出られるチャンスは少ない。
それでも、毎日、ゴールを守るためにひじや膝をすりむき、ボールに飛びつく練習を重ねる。
そこにはGKしかわからない、独特の絆がある。
GKの魅力をもっと発信したい。
2月、「ONE1-GKプロジェクト」が立ち上がった。
発起人は、日本代表で、清水の権田修一選手だ。
FWやMFと比べると、やりたがる子が少ない現状を変えられないか。
日本プロサッカー選手会に所属するGKたちが、毎週のようにオンラインでミーティングをし、GKのレベルアップや、地位向上のための企画を考えている。
指導者がいない子に機会を提供したい。
試合に出られなくても、チームのために準備を重ねる選手の思いを伝えたい。
GKのストーリーやとりまく環境の現状を伝えることで、少しでもGKというポジションにスポットライトが当たってくれたら。
そんな思いで、これから私たちも記事を書いていく。
まだ、欧州チャンピオンズリーグでプレーした日本人GKはいない。
このポジションの面白さを知る人が増え、世界の一線で活躍するGKが出てくることを願って。
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