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連載

#11 テツのまちからこんにちは

鉄道のまちに生まれた最強の工業高校 マイスター直接指導という贅沢

校門に立つ銅像、記者は「ピンときた」

校門近くに立つ久原房之助像=2020年12月15日、山口県立下松工業高校、高橋豪撮影
校門近くに立つ久原房之助像=2020年12月15日、山口県立下松工業高校、高橋豪撮影 出典: 朝日新聞

今年で100周年を迎える国内最大級の鉄道工場「日立製作所笠戸事業所」がある山口県下松市。工場ができたのと同じ1921年、地元で開校した工業高校があります。笠戸事業所とともに歩み、下松の鉄道産業に携わる人材を輩出し続けてきました。技術者の卵を長年育てきた秘訣とは。鉄道ファンの記者(25)が、「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。(朝日新聞山口総局記者・高橋豪)

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#テツのまちからこんにちは
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下松の基礎築いた実業家

笠戸事業所からおよそ3キロ離れた閑静な住宅街にある、山口県立下松工業高校(下工)。システム機械、電子機械、情報電子、化学工業の4つの学科からなり、「ものづくりのまち」とも呼ばれる下松の産業界にも多くの生徒を輩出してきました。

公式ホームページの学校紹介にも、「将来、地域産業を担い、活躍・貢献できる優秀な人材の育成を目標としています」と書かれています。2019年度の進路実績を見ると、学年153人のうち、ほぼ9割の136人が就職。中でも119人(87.5%)が県内で、103人(75.7%)が製造業に就職していることからも、その傾向がうかがえます。

校門の近くにあった「久原房之助(くはらふさのすけ)翁」と書かれた銅像に、私はピンときました。リサーチの時に知った、下松の歴史を語るのに欠かせない人物だったからです。

下松工業高校の正門=2020年12月15日、山口県下松市美里町4丁目、高橋豪撮影
下松工業高校の正門=2020年12月15日、山口県下松市美里町4丁目、高橋豪撮影
出典: 朝日新聞

久原房之助(1869~1965)は、「鉱山王」の異名を持つ実業家。山口県生まれで、秋田県の鉱山の経営を立て直したことから独立し、茨城県の銅山を買収して1905年に日立鉱山(現在のJX金属)を開業、数年で全国屈指の銅山に育て上げ、茨城県日立市の工業都市としての基礎をつくりました。久原鉱業を創業して財閥も形成しました。昭和期には政界に進出したことでも知られています。

久原は1917年、地元の山口で「下松大工業都市建設計画」を打ち出します。塩田が広がる沿岸部に製鉄や造船などの工場を整備し、18万人が住める市街地をつくるという壮大なものでした。ところが、用地取得を進める途中、民間の大規模造船工場の計画は頓挫してしまいました。下松市史によると、第一次世界大戦の軍需品生産のためにアメリカが鉄鋼輸出を禁止し、国内生産も軍部が握っていたためといいます。

こうして自身の財閥の造船部門が別会社となった日本汽船の「笠戸造船所」の操業が始まりましたが、1918年3月には造船事業を中止してしまいました。代わりに、当時国内では手薄だった鉄道生産に乗り出したのです。同じ年には、初めて蒸気機関車(8620型、通称「ハチロク」)を完成させました。

迎えた21年、日本汽船笠戸造船所は、久原のかつての部下だった小平浪平が独立して創業した日立製作所に買収され、「日立製作所笠戸工場」として新たな道を歩むことになったのでした。

1919年11月、工業都市をつくるのに人材育成が必要と考えた久原は、下松に工業高校を創設するための費用として33万円を寄付していました。そして日立製作所笠戸工場の歴史が始まったのと同じ1921年に、授業が始まったのです。

久原は、開校の恩人として語り継がれています。2011年には、開校90年を記念して、校内で伐採された樹齢70年のメタセコイアの木から久原と小平の木像が作られました。校舎に入ってすぐのところで、今も生徒たちを見守っています。

校舎内にある小平浪平と久原房之助の木像=2020年12月15日、山口県立下松工業高校、高橋豪撮影
校舎内にある小平浪平と久原房之助の木像=2020年12月15日、山口県立下松工業高校、高橋豪撮影
出典: 朝日新聞

マイスターの指導、全国大会で活躍

実習の現場を見学に向かう途中、廊下の壁にはここ3年間でシステム機械科の生徒が校外の大会で残した輝かしい成績が飾られていました。

この学科の関連では、溶接や、金属などを回転させて固定した工具で削っていく旋盤といった分野で競技大会が行われているとのこと。就職していない20歳以下の若者を対象とした全国大会「若年者ものづくり競技大会」では、2018年の旋盤部門で、当時の男子生徒が金賞である厚生労働大臣賞を獲得しています。

下工では25年目で、機械加工などを指導する中村明夫教諭(60)に、その秘訣について聞いてみました。

厚生労働省では2013年度から、若者のものづくり離れを防ごうと、技能者の育成を目的に、各分野で経験豊富な「ものづくりマイスター」を認定し、教育現場に派遣する制度を行っています。中村教諭は、下松工業高校はその年からマイスターに来てもらい、主に資格取得で指導をしてもらっていたことを挙げました。

現在も指導に訪れる男性は、笠戸事業所に長年勤めた元社員。今では資格取得だけでなく、競技大会での入賞をめざす部活動の「ものづくり部」や、3年の課題研究でもアドバイスをもらっているといいます。

全国金賞に輝いた男子生徒も、大会出場前に助言を受けていました。この生徒も笠戸事業所に就職して、さらにレベルの高い大会へと舞台を移しているということです。「日立と同時に100周年を迎える区切りの年。バックアップを受けて、うちも頑張ってこられた」と、自らも卒業生である中村教諭は話しています。

「祝日本一」と書かれた垂れ幕がある実習室で作業に励む生徒たちと、指導する中村教諭=2020年12月15日、山口県立下松工業高校、高橋豪撮影
「祝日本一」と書かれた垂れ幕がある実習室で作業に励む生徒たちと、指導する中村教諭=2020年12月15日、山口県立下松工業高校、高橋豪撮影 出典: 朝日新聞

下松で取材して回っていると、下工の卒業生に本当によく会います。以前紹介した、笠戸島の蒸気機関車を整備している奈良山孝司さんもその一人。下松工業会という同窓会のことを教えてくれました。「日立笠戸や、今いる広島などたくさんの支部があり、仕事や生活で先輩卒業生に相談することができた。卒業後もつながりが持てることが大きなメリットです」

この日中村教諭が指導をしていた実習室には、全国金賞を祝う垂れ幕が掲げられていました。その前で黙々と機械を動かしたり、メモを取ったりしている生徒たちにとっては、これ以上ない刺激的な空間であるに違いありません。さらに現役生徒に話を聞いてみると、土地柄にも大きく影響を受けているようでした。

 

〈テツのまちからこんにちは(#テツこん)〉2021年5月でちょうど100周年を迎える、鉄道の全国最大級の生産拠点である山口県下松(くだまつ)市の日立製作所の笠戸事業所。山口に赴任した鉄道好きの記者が「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。

今週のテツ語「引き込み線」
通常の線路と、車両基地や工場をつなぐ線路で、専用線とも呼ばれています。日立製作所笠戸事業所にも下松駅との間にあり、車両を出荷する時になどに専用のディーゼル機関車に引かれた新車両が通ります。全国の工業地帯ではまだ多く見ることができますが、自動車輸送の増加によって、廃線になったものも少なくありません。初の民間専用線である、埼玉県の深谷駅から日本煉瓦製造の旧製造施設に伸びる約4キロの線路のうち、今も残る鉄橋は国指定重要文化財にもなっています。

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