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連載

#9 テツのまちからこんにちは

新幹線〝先頭車両〟誕生秘話 ハンマーを一心不乱に…黎明期の思い出

レジェンドが語る「お気に入りの車両は」

山下工業所本社内に飾られた金属製楽器と藤井洋征さん=2020年11月17日、山口県下松市東海岸通り、高橋豪撮影
山下工業所本社内に飾られた金属製楽器と藤井洋征さん=2020年11月17日、山口県下松市東海岸通り、高橋豪撮影
出典: 朝日新聞

目次

今年で100周年を迎える国内最大級の鉄道工場「日立製作所笠戸事業所」がある山口県下松市。金属板をたたいて、新幹線の先頭車両の流線形に仕上げる「打ち出し板金」の技術を担うのが、地元の板金加工会社「山下工業所」です。その技術は、金属製のチェロやバイオリンまで作ってしまうほど高度なもの。新幹線の「顔」を生みだす職人はどんな人なのでしょう。鉄道ファンの記者(25)が、「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。(朝日新聞山口総局記者・高橋豪)

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#テツのまちからこんにちは
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職人歴約60年のレジェンド

下松市の板金加工会社「山下工業所」が10年余りで作ってきた13台の金属製楽器。2台目以降を一人で手がけた職人に話を聞くことができました。1963年当時の創業メンバーの藤井洋征さん(76)です。打ち出し板金を長年担当し、現在は技術顧問として運転台の製作に携わっています。

「できるんかな。音出ないんじゃないか」。イギリスから届いたバイオリンの名器・ストラディバリウス「メサイア」の寸法測定図を渡された藤井さんはそう思ったそうです。仕事の合間を縫って約1カ月。パーツごとに分かれたアルミ板をたたいていきました。バイオリン本体のオモテ板とウラ板の真ん中にあるくびれの流線形は、新幹線の「顔」づくりと同じ要領でした。

「ぼこぼこにならないように軽くたたきました。何枚も失敗しましたけど」。先代社長の山下清登さんが作った1台目はチェロでしたが、今度は初めてのバイオリン。「500グラム以下にしないと重すぎて弾いてもらえないので、数倍難しかった。弾いた音色を聞いたときは、涙が出るほど感動しました」と振り返り、柔和な笑みを浮かべました。

なぜ、そんな楽器作りに藤井さんが選ばれたのか。それは、藤井さんが卓越した技術の持ち主であるとともに、会社を支えてきたレジェンドだったからです。

車両の骨組みの周りで作業を進める山下工業所の職人たち=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影
車両の骨組みの周りで作業を進める山下工業所の職人たち=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影
出典: 朝日新聞

一心不乱に振り続けたハンマー

職業訓練校で板金を学び、17歳の時に創業メンバーとして入社した藤井さん。実家の手伝いで、米や木をトラックに積む作業をしていたので、体力には自信があったそうです。

入社してからの初仕事は、初の新幹線車両の先頭車両製造に携わること。先代社長の手ほどきを受けながら5、6人でつくり上げたといいます。ハンマーを一心不乱に振り続け、時には握った手が開かなくなったこともあるそうです。技を習得するまで10年はかかるという世界で、なかなか思うように上達せず、辞める人を何人も見てきたといいます。

50歳をすぎるまで、歴代の新幹線を先代社長らとともに中心となって手がけてきました。2010年には、優れた技能を持つ技術者を厚生労働大臣が表彰する「現代の名工」に、板金工として選ばれました。勤続50年に近づいた12年には、黄綬褒章を受章しています。

数々の新幹線先頭車両の製作過程を残したアルバムを見せてもらいました。特に思い入れが強いというのが、現在は山陽新幹線の「こだま」で運用されている500系です。1997年登場したシャープで長い顔が特徴の車両。先頭車両の前半分ほどが徐々にとがっていくデザイン。人気も高く、藤井さんも「一番かっこいい」と話します。前から見ると丸みを帯びた断面になっていて、この絶妙な流線形の打ち出しには時間を要したそうです。

完成した車両の出荷を見届けるわけではありません。初めて500系が走っているのを見たのは、徳山駅を通過する時でした。300キロに迫る猛スピードで駆け抜ける様子を、「見たことない速さで、音もそれまでと違っていました」と懐かしみます。

500系新幹線の先頭車両をつくった時のアルバムを見返す藤井洋征さん=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影
500系新幹線の先頭車両をつくった時のアルバムを見返す藤井洋征さん=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影 出典: 朝日新聞

実践で習得 新幹線づくりの系譜

新幹線車両は自動車や家電製品のような大量生産ではありません。サイズと形状によって変動はありますが、1編成2両分の顔をつくるのに、およそ1カ月から1カ月半かかるといいます。機械化を図ろうにも、サイズが非常に大きいこともあり、多様化する車両デザインに合わせてそれぞれのプレス型を作っていては採算が合わないため、職人がたたいて成形する打ち出し板金が今も重宝されているというわけです。

後進の育成に携わることも多いという藤井さんに、打ち出し板金の極意や指導方法について聞いてみました。ハンマーの振り方に細かなコツはあるようですが、「やってみなければわからない。言葉では言い表せません」とのこと。入社したての時は、先輩に教えられるというよりも「やってみい」と言われて体で覚えてきたそうです。

「背の高さや腕力、生まれ持ったそれぞれのセンスによってたたき方も変わる」と、答えは一つではないようです。工場で10年目くらいの職人の手つきを観察しては、「きれいに、なめらかにやっていましたね。僕らも勉強になります」と話しました。

新幹線の先頭車両のデザインはこれからも変わり続けてゆくことでしょう。黎明期を知る藤井さんが一人前に育てた職人が、より高度な技に挑戦していき、日本の新幹線製造を今後も裏方で支えていくのです。「鉄道産業のまち」の底力を、肌で感じた一日でした。

 

〈テツのまちからこんにちは(#テツこん)〉2021年5月でちょうど100周年を迎える、鉄道の全国最大級の生産拠点である山口県下松(くだまつ)市の日立製作所の笠戸事業所。山口に赴任した鉄道好きの記者が「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。

今週のテツ語「500系新幹線」
JR西日本が高速化を目的に開発した新幹線車両。1997年に山陽新幹線でデビューすると、最高時速300キロの営業運転で、大幅な時間短縮に成功しました。長い「鼻」は、カワセミのくちばしがヒントになったといいます。東海道・山陽新幹線「のぞみ」で活躍していましたが、2007年に登場したN700系に取って代わられ、10年に「のぞみ」の定期運行から引退しました。最近では「新世紀エヴァンゲリオン」や「ハローキティ」のラッピング列車や、車内に設けられた子ども向け疑似運転台で楽しませています。

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