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連載

#8 テツのまちからこんにちは

「0系」から新幹線の〝顔〟を作ってきた工場、ピンチ救った楽器作戦

地方の零細企業が「ストラディバリウス」に託したもの

国民宿舎大城に飾られたアルミニウム合金製のチェロとバイオリンとビオラ=2020年11月5日、山口県下松市笠戸島、高橋豪撮影
国民宿舎大城に飾られたアルミニウム合金製のチェロとバイオリンとビオラ=2020年11月5日、山口県下松市笠戸島、高橋豪撮影 出典: 朝日新聞

目次

今年で100周年を迎える国内最大級の鉄道工場「日立製作所笠戸事業所」がある山口県下松市。このまちには、分業により車両の部品づくりを担う小さな工場が生まれ、各社固有の技術を発展させてきました。その技術の底力を物語る逸品が、笠戸島の宿泊施設「国民宿舎大城」に飾ってあります。鉄道ファンの記者(25)が、「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。(朝日新聞山口総局記者・高橋豪)

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#テツのまちからこんにちは
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「E5系」と一緒に並ぶ弦楽器

瀬戸内海に臨む「国民宿舎大城」のロビー。昨年11月、新幹線のグリーン席の取材に行った時のこと。その壁際に、銀色に輝く弦楽器が並んでいるのを見つけました。一般的な木製のものと違い、光がよく反射するので、曲線美がはっきりと伝わってきます。

見ると、この大小3台の楽器はチェロとバイオリンで、「アルミ合金製」と書かれていました。そして「打ち出し板金」の文字もありました。「金属の板を何度も何度もたたいて、金属を伸び縮みさせながら、立体の形状を作り出す技術」と説明があります。曲線は、職人の手で生み出されたものでした。

展示スペースに付いていたモニターでは、金属製の弦楽器を交えて、「世界の車窓から」のテーマソングを演奏する動画が流れていました。木製と比べても、音色は遜色ありません。さらに、新幹線の先頭車両の製造工程も映し出されました。東北・北海道新幹線E5系のボディーです。

楽器を手がけたのは、下松市内の板金加工会社「山下工業所」でした。打ち出し板金の技術を磨いた職人が、代々新幹線先頭車両の顔をつくってきた名工場です。私も訪ねてみることに。子どもの頃から憧れの的だったあの流線形の原点が見られるとあって、遠足前日の気分を久しぶりに味わいました。

「0系」から日立を支える技術

「カンカンカン」。ハンマーで金属板をリズミカルにたたく乾いた音が、工場のあちこちから響き渡ってきます。山下工業所の工場では、まさに新幹線の「顔」がつくられている最中でした。日立製作所笠戸事業所の増産要請に応えるべく、昨年完成したばかりの新施設です。

工場内には、金属板を曲げることができる大型の成形加工機がずらり。ただ、この機械だけでは立体的な流線形はつくれません。先に完成させた骨組みに細かく分けた板を溶接していくのですが、ぴったり合わせられるように、職人がハンマーを振って微調整をしていきます。

たたいている金属板には、ハンマーの痕が無数についていました。完成した車体では見えなくなってしまいますが、新幹線の速さを生み出すのに欠かせない努力の証しなのです。

最終的に車両を完成させて出荷するのは笠戸事業所の役割ですが、部品を納入する業者が、市内にはたくさんあります。山下工業所もその一つ。それぞれが凄腕の職人を抱え、培った技術で車両製造を支えるスタイルが確立されている印象が、下松にはあります。

山下工業所は1963年の創業。翌64年、前回の東京オリンピックの10日前に営業運転が始まった東海道新幹線初代0系の丸い「団子っ鼻」から、打ち出し板金を用いて手がけてきました。「日立一筋」を貫き、新幹線の多様化とともに成長を遂げてきました。

新幹線の「顔」づくりが進む山下工業所の工場=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影
新幹線の「顔」づくりが進む山下工業所の工場=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影
出典: 朝日新聞

社内でも疑問視…それでも決断

金属製の楽器はもともと、2008年に日本科学未来館(東京)で開催される「ものづくり日本大賞」受賞企業を集めた展示会への出品要請を受けて製作されました。「技術力のPRはあくまでも手段で、最終的な目的は人材確保にありました」と山下竜登社長(57)は言います。

山下工業所の創業者は父親で先代社長の清登さん(85)。山下社長は大卒後、金融機関に長く勤めました。2007年に家業を継ぐべく入社して、専務になりましたが、会社の将来に危機感を感じていたといいます。技の習得に年数を要するにもかかわらず、当時は若手の職人がいませんでした。

「就活のキーワードは金融やIT、デジタルという時代。ものづくりの現場はきつい、汚い、危険の『3K』だと言われていて、うちのような地方の零細工場は人が取れませんでした」

「従業員募集」の大きな看板を掲げていた時期もあったほどでした。

「鉄道を利用される膨大な数の人の役にたつ仕事。やっていることはすごいし、社会的に必要ともされています。技の存在を知ってもらうことができれば、やりたい人は必ず出てくると思いました。『技のマーケティング』が必要だったのです」

「三次元の流線形曲面」をアピールでき、技術が凝縮された象徴的なものをと考えていた山下社長。家にあるものから探していたところ、妻のまどかさんが使っていたチェロに目を付け、職人でもある先代社長がアルミ板から作り上げました。

2009年に社長に就任。同年には、「三大ストラディバリウス」に数えられる名器をモデルに、アルミ製のバイオリンもつくられました。さらに軽量化も図り、「世界初」とうたうマグネシウム合金製のバイオリンも完成させました。改良版の製作を続けた結果、これまで社内で手がけた楽器は、バイオリン6台、チェロ5台、ビオラ2台の計13台にも及びます。

金属板にハンマーを打ち付けて流線形をつくる若手職人=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影
金属板にハンマーを打ち付けて流線形をつくる若手職人=2020年11月17日、山口県下松市東豊井、高橋豪撮影
出典: 朝日新聞

「最初は社内でも疑問視されました」と山下社長。

しかし、効果はてきめんでした。山下社長によると、2019年時点で全44人の社員の半分以上が、楽器ができた後の入社です。現在、板金チームのリーダーを務める30歳の若手職人もその一人。中には、熊本県から下松に移り住んできた元宮大工志望の木工職人の有望株もいるといいます。

会社を救ったともいえる金属製の楽器ですが、2台目以降の打ち出しを一人で担ってきた立役者がいました。それは、山下工業所が誇る打ち出し板金のレジェンドでした。

 

〈テツのまちからこんにちは(#テツこん)〉2021年5月でちょうど100周年を迎える、鉄道の全国最大級の生産拠点である山口県下松(くだまつ)市の日立製作所の笠戸事業所。山口に赴任した鉄道好きの記者が「鉄道のまち」で見聞きした出来事をレポートします。

今週のテツ語「0系新幹線」
1964年10月1日に東京―新大阪間に開通した東海道新幹線の初代車両。世界で初めて時速200キロ超えを果たしました。「原点」を表す0系という呼び名がついたのは、東北・上越新幹線(82年開業)の200系が登場してからでした。徐々に改良を重ね、生産されたのは3千両以上。一部食堂車やカフェテリアも併設された車両もありました。山陽新幹線のみでの運転を経て、2008年に営業運転を終えました。現在は京都鉄道博物館などに展示されています。

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