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お金と仕事

転職30回、ひきこもり…孤独死寸前の生活を救った「竹ぼうき」の音

「できることよりも、できないことを認める社会であってほしいね」

転職を30回繰り返し生活保護に…引きこもりも経験した佐野靖彦さん=山本哲也撮影
転職を30回繰り返し生活保護に…引きこもりも経験した佐野靖彦さん=山本哲也撮影

目次

日本では現在およそ1千人が孤立状態にあり、年間3万人が孤独死を迎えるという。ささいなことから転落する人もいれば、少しのきっかけで再び社会に戻れる人もいる。転職を30回繰り返し生活保護に。ひきこもりとなり、このままでは孤独死を迎えていたかもしれない男性は、ふとした瞬間につかんだ「竹ぼうき」に救われた。「できることよりも、できないことを認める社会であってほしいね」。暗闇から一筋の生きる道を見つけた4年半の日々を聞いた。

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「10億の家とかをバンバン建てる。けど……」

二つの池を臨む巨大な都立公園――。その公園に、穏やかな笑顔で、竹ほうきを片手に公園の警備員と挨拶を交わす人懐っこそうな中年男性の姿がある。それが佐野靖彦さん(57)だ。聞くと、警備員とは顔なじみで、いまは自宅に招いて酒を飲みかわす間柄だという。しかし、3年前までの佐野さんは、完全なひきこもり状態だったというから驚く。佐野さんが公園の近くのアパートに4年前に引っ越してきたのは4年半前だ。

佐野さんの生まれは、岡山県総社市。父親はヤクザで、母親はキャバレーの従業員だった。親からはネグレクトされて育ち、愛情を受けた記憶はあまりない。そのため、家族が集える家庭に憧れて、『茶の間』をテーマに、建物の設計の道を志した。

地元の工業高校に進学し、卒業後は建築物の設計の仕事に携わることとなる。バブル時代は、そんな志と現実とのギャップに頭を悩ませたことが多々あったという。

「当時バブルで、成り金たちは10億の家とかをバンバン建てる。だけどその結末が、結局一家離散だったりするの。建物を壊して、また建てる。作っていた身からすれば、一生懸命作っても、結果としてそれが壊されることが辛かった。設計もそうだし、工事してくれた人も、やったことの全てが生かされない。建物を作るんだけど、結局そこで建物を使ってる人が幸せにならなければ、その建物も生かされないんじゃないかなと思ったのね。建物を作ることよりも、それをどう生かしたらいいのか、考えるようになった」

「建物を作るんだけど、結局そこで建物を使ってる人が幸せにならなければ、その建物も生かされないんじゃないかなと思ったのね」=山本哲也撮影
「建物を作るんだけど、結局そこで建物を使ってる人が幸せにならなければ、その建物も生かされないんじゃないかなと思ったのね」=山本哲也撮影 出典: 朝日新聞

なぜ、自分は人と同じことができないのか

佐野さん自身も問題を抱えていた。対人関係などに躓き、転職を繰り返していたのだ。その数はこれまでに30社以上。その度に燃え尽き、ひきこもり、生活が困窮してしまう。

「建物をデザインするのは好きなんだけど、複雑な勉強とか、工期がどうとか考えることが苦手なの。あと人間関係も苦手、それが続いて、転職を繰り返すことにつながったのね」

なぜ、自分は人と同じことができないのか。なぜ普通に働けないのか、そんな自分を認めることができず、焦りと憤りを感じて生きてきたという。それは苦しみのどん底だった。いよいよ生活に困窮し、役所に相談すると生活保護を勧められた。

30社以上転職を繰り返し、その度に燃え尽き、ひきこもり、生活が困窮していった=山本哲也撮影
30社以上転職を繰り返し、その度に燃え尽き、ひきこもり、生活が困窮していった=山本哲也撮影 出典: 朝日新聞

「できないことをやろうとしてたんだと思う」

ある時カウンセリングを受け、自らが高次脳機能障害を持っているということがわかった。

高次脳機能障害とは、何らかの脳の損傷が原因で、日常生活や社会生活に支障を来す状態で、スムーズに話せなかったり、相手の話が理解できなかったり、また、作業を長く続けることや計画が立てられないなどがある。思い返すと、佐野さんは小さい頃に、家の窓から落下し、意識不明に陥ったことがあった。

佐野さんの長年の生きづらさの一端は、この障害が原因だった。

「今思うと、できないことをやろうとしてたんだと思う。働くのが社会人として当たり前、だけど自分にはそれができないし、あと資質もなかった。当時は障害を持っていると思ってないから、すごく悩んでたよね。だからできることよりも、できないことを認める社会であってほしいね」

「できることよりも、できないことを認める社会であってほしいね」=山本哲也撮影
「できることよりも、できないことを認める社会であってほしいね」=山本哲也撮影 出典: 朝日新聞

きっかけは、大雪だった

佐野さんは、住宅扶助が適用されるこのアパートに引っ越してから、完全なひきこもり生活をすると決めていた。

人とのコミュニケーションも苦手だし、被害妄想も強く、外を歩くのが怖くて道行く人に殴られるんじゃないかとびくびくする。西側にある大きな窓のカーテンを全て閉め切り、真っ暗に閉ざされた室内で一日中テレビを見ながら、家にひきこもる。そんな生活が一年ほど続いた。

ある冬の日、大雪が降った。カーテンの隙間から外を見ると、坂道に雪が降り積もり車が登れず、近所の人はオロオロと立ち往生している。

「これは人と関わる良いきっかけかもしれない」

そう決心した佐野さんは翌日の早朝から、近所の雪かきを始めた。まずは近所のワンブロック、次はエリアの順位表を作り、どこが人手が足りなくて困っているのか地図に書き出していった。近所の人からは感謝される。すると、次第に雪が降るのが楽しみになった。

「もともと始めたのは、ここの住民のたちと仲良くなるために始めたの。掃除って、コミュニケーションのツールだからきれいになったら気持ちいいじゃん。あと、自分も地震とか災害があったときに、何かあったら助けあえる関係を築きたいんだよね」

真っ暗に閉ざされた室内で一日中テレビを見ながら、家にひきこもる。そんな生活が一年ほど続いた=山本哲也撮影
真っ暗に閉ざされた室内で一日中テレビを見ながら、家にひきこもる。そんな生活が一年ほど続いた=山本哲也撮影 出典: 朝日新聞

近くの公園にも足を延ばすように

冬が終わり、春が近くなると、今度は桜吹雪が気になった。近所には樹齢80年を超える桜の木がたくさん生えていて、道路には桜の花びらが無数に転がっている。そこで、次は家の近所の道路の桜の掃除を始めることにした。竹ぼうきの掃除は、下を向く。だから、人と目を合わせなくてもいい。それが佐野さんには性に合っていた。近所の掃除を手掛けるうちに、近くの公園にも足を延ばすようになった。

公園には木道があり、木の葉っぱが落ちてくる。観察していると、一枚でも葉っぱが落ちていたら歩行者はそれを避けようとする。さらに都心から公園にくる人たちは、下ろしたてのピカピカの白いシューズを履いてくる人もいる。靴を汚さないで気持ちよく歩いてもらえたらいい。そう思えるようになった。

そのために、公園の木道は常に乾燥状態を保つ方が良い。

「去年は掃除を70回くらいやったかな。一回3時間くらいやるよ。木道を乾かすのが目的だから、雨が降った二日後がいいの。雨の次の日は、落ち葉がまだ雨で濡れてるから掃けない。三日以降になると、人が足で踏んで地面にくっついちゃうの」

そこで一番具合の良い雨が降った翌々日に、ほうきを持って公園を掃除したり、草引きをしたりするようになった。

竹ぼうきの掃除は、下を向く。だから、人と目を合わせなくてもいい。それが佐野さんには性に合っていた。近所の掃除を手掛けるうちに、近くの公園にも足を延ばすようになった=山本哲也撮影
竹ぼうきの掃除は、下を向く。だから、人と目を合わせなくてもいい。それが佐野さんには性に合っていた。近所の掃除を手掛けるうちに、近くの公園にも足を延ばすようになった=山本哲也撮影 出典: 朝日新聞

「生まれて初めて話すことがたくさん出てくるよ」

ある日、大きな台風の後、公園を訪れると、水浸しでぬかるんでいた。佐野さんは、そんな公園の復旧にも力を発揮した。そのうちに佐野さんは、この森に受け入れられたような気分になってきたという。

佐野さんが教えてくれたのは、公園で写真を撮る人も、ウォーキングする人も、ゴミを拾う人も、みんなその役割が決まっているということだ。ごみを拾うことを毎日の楽しみにしている人もいる。だから、佐野さんが公園の中に落ちているごみを拾うことはない。

佐野さんは、三年前から、立川のコミュニティーカフェで月に二回、料理人もつとめている。料理好きの佐野さんは、開催日の4日前から料理を仕込み、お客さんにふるまう。カフェには、地元のサラリーマンから、ホームレスまで様々な人たちが集う。カフェでの唯一のテーマは、本心で話すこと。

「そこでは、生まれて初めて話すことがたくさん出てくるよ。やっぱり人って、最初は仮面で隠すじゃない。そこに辛さの原因ってあると思うの。それには、自分を出したらいい。俺はそういう隔てがないから、これまでの自分も隠さず出しちゃう。そしたら初めての人もじゃあ俺も初めての話出すよと、なるの」

「やっぱり人って、最初は仮面で隠すじゃない。そこに辛さの原因ってあると思うの。それには、自分を出したらいい」=山本哲也撮影
「やっぱり人って、最初は仮面で隠すじゃない。そこに辛さの原因ってあると思うの。それには、自分を出したらいい」=山本哲也撮影 出典: 朝日新聞

社会や人との「ちょうどいい距離感」

佐野さんは、現在、社会や人との「ちょうどいい距離感」の中で無理をせず生きているという。

今、佐野さんは、公園の池に水中観察園を作ったらいいのではないか――と感じている。池には水生生物がたくさんいて、興味を持った人がもっと来てくれるかもしれない。

現在では区の役人とも通じている佐野さんだけに、いつの日か再び彼の設計の知識が生きる日が来るかもしれない。そう心待ちにしている私がいる。

佐野靖彦さんの部屋にあったメモ=山本哲也撮影
佐野靖彦さんの部屋にあったメモ=山本哲也撮影 出典: 朝日新聞

一見暗闇に閉ざされたように見えても、そこから人が幸せに生きる道はきっと無数にある。

今日も公園でほうきを手にする佐野さんの後ろ姿は、そんな人生の豊かさを教えてくれるのである。

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