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お金と仕事

「ラグビー以外でも食べていける」38歳まで現役できた理由

アスリートの価値「棚卸し」で把握

現役時代の朱賢太さん=本人提供
現役時代の朱賢太さん=本人提供

目次

大学時代から「仕事とラグビーの両立」を軸に、働き方を選んだ元ラグビー選手の朱賢太さん(46)。現役を続けながら、キャリアアップを図り、転職をしました。38歳で引退するまで、16年間両立を続けられたのは、ラグビー以外にも足場を作っていたからだと言います。働き方が多様化する今、スポーツと仕事の二軸でキャリアを築く「デュアルキャリア」の強みを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)

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朱賢太(しゅ・けんた)
1974年1月、東京生まれ。私立本郷高校出身。法政大学卒業後、96年にゼネコン に就職。ラグビーと仕事の両立を目指す。 98年にライオンに、2007年にリクルートHRマーケティング(現リクルートジョブズ)に転職し、営業組織の責任者を務める。12年、38歳で現役引退。 17年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、東京2020組織委員会)に出向し、採用課長として職員の採用を担当。
 

「デュアルキャリア」ゆえの強み

<転職先で10年間ラグビーと仕事を両立を目指した。将来のビジョンを見据え、さらなるキャリアアップを図る>
 

高校からはじめたラグビーでしたが、大学ではレギュラーとして大学選手権ベスト4までプレーすることができました。就職活動では、仕事とラグビーの両立を条件にしていました。日中は仕事をし、終業後にラグビーができる会社に新卒入社できたものの、わずか2年で親会社が倒産。ラグビー部は廃部となりました。

ラグビーつながりでライオンに中途入社することができ、24歳で1回目の転職をしました。所属したラグビー部は福利厚生のチームだったため、社員しか入部できず、徐々に人材不足が課題となりました。

打開策としてクラブチーム化することが必要だと感じ、会社側に提案。選手はラグビーと仕事を両立していること、外部選手が加わることでさらに部が活性化することなど会社のメリットを熱心に伝えたところ、クラブチーム化が認められました。

ラグビー部では組織運営の経験を積み、仕事では営業を10年弱続けました。30代になった頃、「ヒト、モノ、カネ」について学びたいと思い始めました。将来、自分で事業をしてみたいという思いがあったんです。

今も温めている夢なのですが、子どもの成長にスポーツの良さを活かせるような教育関連の事業に携わりたいと思っています。そのためにはマネジメントについてもっと学ぶ知る必要があると思い、転職を決意しました。

これまでキャリアを積み上げてきたからこそ、積極的に転職活動にも挑戦できました。これがデュアルキャリアの強みの一つだと思っています。

現役時代、相手選手にタックルをする朱さん=本人提供
現役時代、相手選手にタックルをする朱さん=本人提供

異業界へ転職。「自分にできること」を探した

<33歳で異業界へ転職。古巣のラグビーチームで現役を続け、仕事とスポーツを両立を試みる>
 

転職について、実は妻以外の親しい人からは難色を示されました(笑)。当時、既に子どもが3人いたのもあり、安定した職を捨てる必要はないのではと心配をされたんです。ライオンは働く環境としては申し分なかったのですが、もっと厳しい環境に身をおきたいと思いました。

そう考えた時、リクルートという会社に興味を持ち、当時募集をしていたリクルートHRマーケティング(現リクルートジョブズ)に応募。約10年間小売業の営業担当をしたことと、ラグビーで組織運営の経験を積んだことをアピールした結果、採用に至りました。

異業界に飛び込み、最初は戸惑うことばかりでした。転職時は33歳で、新人ではありません。出来ない自分に落ち込むこともありましたが、「自分にできること」を探すことに集中しました。小売業の知識とラグビーで築いたつながりを武器に、謙虚な気持ちで仕事に打ち込みました。

ラグビーに関しては、転職後もライオンラグビー部の一員として現役を続けることを認めてもらっていました。引退の期限は決めていませんでしたね。ラグビーができるだけでありがたいと思っていたので、できる限り長く続けたいと思っていました。

そう思えたのは、仕事とラグビーを両立していたことも大きく影響しています。ラグビーができなくなったとしても、ビジネスの世界でも何とか食べていけるという「根拠のない自信」があったので、思う存分に現役を続けられました。

結果的に38歳まで現役を続けました。引退のきっかけは、鼻の骨を折る怪我をしたことです。これ以上家族に心配をかけたくないと思い、引き際だと思いました。ラグビーは十二分にしたので、後悔はありませんでした。

千葉にあるライオンラグビー部グランドにて。中央の白いキャップをかぶっているのが、当時主将を務めていた朱さん=本人提供
千葉にあるライオンラグビー部グランドにて。中央の白いキャップをかぶっているのが、当時主将を務めていた朱さん=本人提供

スポーツの「棚卸し」をしてみる

<自分がしてきたスポーツの特徴を把握。その分析が働く上で役立つかもしれない>
 

3年ほど前から、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向しています。これまでの仕事と違うのは、組織委員会は多くの企業や自治体などからの出向者や直接雇用の方々など、様々な背景を持ったメンバーで成り立っているため、社風や価値観など、多様性に富んでいるところです。

私は採用担当をしているのですが、組織の内外問わず信頼してもらえることの重要さを改めて感じています。例えば、これまで何百人もの方と面接をしてきましたが相手の話をしっかり聞いた上で、こちらの要望も伝えること。そして、組織やチームとしてのビジョンを示しながらお互いの合致点を見つけていくことは、実は現役時代にやっていたことと同じなんですね。

アスリートのセカンドキャリアにおいて、「スポーツしかしてこなかった」という声を聞くことがありますが、スポーツをする中で身についたスキルは必ずあると思います。

客観的に自分の能力や経験値を把握する手段の一つとして、スポーツの「棚卸し」と「汎用化」は意味があると思っています。

発祥の地のイギリスでは、ラグビーは上流階級の人が息子にさせたいスポーツとしても人気です。利他主義を貫くことや、誇り高くプレーをすることなど、技術よりも勇気や挑戦などの精神面が優先されます。

経験上、叱責される時は下手だからではなく、「なぜあの場面で逃げたのか」ということ。制約条件の中、15人でボールを運び合い、いかに状況打破をするか。個々が責任を果たし、チームとして成果を出す経験を積み重ねてきました。

何かを成し遂げるには仲間や相手も必要ということが身についています。仲間や相手を尊敬し、チームで成果を出してきた経験は、働く上でも役立っているんですね。

「スポーツしかやってこなかった……」と思わず、一途に取り組んできたスポーツから何を学んだか、一度じっくり考えてみることで、何か気付きがあると思います。

「五輪開催延期が決まった時は、椅子から転げ落ちましたが、数年後には『新たなチャンスだった』と思えるようになったらいいなと思います」(朱さん)
「五輪開催延期が決まった時は、椅子から転げ落ちましたが、数年後には『新たなチャンスだった』と思えるようになったらいいなと思います」(朱さん)

スポーツ以外の世界も知る

<引退後のキャリアを考えた時、「スポーツが好き」という理由で仕事を選ぶのはリクスが伴う>

今、アスリートのセカンドキャリアが課題となっていますが、選手は自分の将来には様々な選択肢があることを知っておいた方が良いと思います。長年やってきたスポーツのコーチやトレーナーになる道もありますが、ただ単に「そのスポーツが好きだから」という理由で選ぶのは直接的過ぎると感じています。

スポーツにもビジネスの拡がりがあります。俯瞰的にスポーツ業界を見た方がいいですし、スポーツ以外の世界も知っておくことは必要ではないでしょうか。

新卒の人からは時々「(新人だから)何もできない」という声を聞きますが、「あなたは昨日までカスタマーだったのでは?」ということを伝えたいですね。誰よりも消費者目線で物事を考えられることは、強みになります。若いということは、それだけチャンスがたくさんあり、やり直しがきくということ。

自分が取り組んできたことで得た強みや考え方、そして苦手なことを客観的に捉え、今後のキャリア形成に活かしてみてください。

【前編へ】挫折ばかりのラガーマンだからできた「スポーツと仕事」の両立 チームのクラブ化でいきた営業現場での学び

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