連載
#4 #アルビノ女子日記
「アルビノだから選ばれない」 恋も結婚も諦めていた私を救った言葉
「私なりの恋愛でいい」と気づけた理由
結婚式で、パートナーと永遠の愛を誓う友人。生まれつき髪や肌が白いアルビノの神原由佳さん(26)は、その姿に感動しつつも、複雑な気持ちを抱いてきたと言います。「人と見た目が違う私なんか、誰からも選ばれない」「結婚も、出産も無縁だ」。心を覆う暗い感情を晴らしてくれたのは、同じく外見に症状がある子の親たちからかけられた言葉でした。
26歳。同い年の友人たちが、ちらほら結婚し始めた。
先日も、結婚式に行ってきた。花嫁姿の友人を見るやいなや、瞳が潤んだ。新婦入場、誓いのキス。お決まりの儀式が「すごくいいもの」に見えてきて、泣いてしまう。大事な人の幸せな姿を見るのはいいものだ。
でも「自分が新婦として皆の前に立ちたいか?」と問われたら……。
私は周りが恋愛に興味を持ち出す思春期の頃から、自分は恋愛や結婚に無縁の人間だと思ってきた。なぜなら、私がアルビノだからだ。
「アルビノの自分は、誰の恋愛対象にもならないだろう」という思い込みがあった。「女性は選ばれる性である」との偏見もあって、「人と姿が違う自分なんか、誰からも選ばれやしない」と、勝手にひねくれていた。異性から好意を持たれたこともあったけど、「もっと可愛い子がいるじゃん」と相手の気持ちなど考えもしないで、へそを曲げていた。
それだけではない。アルビノは遺伝子疾患だ。親の片方がアルビノの場合、遺伝の可能性は100分の1より小さいと言われている。無視できるような小さな確率かもしれない。でも、プレッシャーを感じる。
子ども時代、私は自分がアルビノであることがつらくてたまらなかった。だからこそ、自分の子どもがアルビノで生まれてきて、その子に「どうして、遺伝のリスクが分かっていたのに産んだんだ!」と責められるような気がした。そう言われることが怖かったし、「そのままのあなたでいいよ」と愛せる自信もなかった。
「この負の連鎖は断ち切らなければいけない」。私は大学生になるまで、そんな考え方を自分自身に対して持っていた。まさに「優生思想」だ。そんな自分の発想が恐ろしかった。
「大げさだ」と笑われるかもしれない。けれど、かつての私は、それくらい思い詰めていた。「出産はしない。出産しないなら、結婚もしない。恋愛をしたら、結婚や出産もしたくなるかもしれないから、恋愛もしない方がいい」。そう思っていた。
そんな私の凝り固まった考え方が変わるきっかけとなったのが、アルビノや顔の変形など外見に症状がある子を持つ親との出会いだった。
私は大学院に進学し、研究のため、10人を超える親たちにインタビューした。特に、母親たちの語りが印象的だった。様々な葛藤を抱えつつも子どもと向き合い、ともに成長し、今は幸せだと言う。母親たちの晴れやかな表情が、私の心を動かした。
インタビューの最中、私自身の結婚や出産観について打ち明けたことがあった。すると、口々に「きっと大丈夫よ」と言ってくれた。そんな経験を繰り返すうちに、私の中に宿っていた「優生思想」はいつの間にか消えてなくなっていた。
今も積極的に「子どもがほしい」とは思っていない。けれど、「親になる選択肢もなくはないかな」と考えている。子どもがアルビノに生まれても「大丈夫だよ」との言葉をかけてあげられる。
もちろん、ほかの障害や疾患がある子どもが生まれるかもしれない。出生前診断でわかる疾患もある。
だからといって、安易に「検査しよう」とも思えない。出産時に、アクシデントが起こる可能性だってある。子どもを持つということについて、自分なりに重たい認識を持っている。
今のところ結婚も出産の予定もないけれど、この先、結婚したいと思えるパートナーができたとしよう。でも、すんなり話が進むとは限らない。結婚となれば、相手の家族や親族が私の見た目や遺伝を気にするだろう。
実際、遺伝しないアザがある当事者が「世間体が悪い」との理由で結婚に至らなかったケースを知っている。外見に症状があるだけでも、ハードルになりえる。ましてやアルビノは遺伝の可能性もゼロではない。
相手の親族が気にする気持ちもわかる。大切なことだからこそ、できる限り相手の家族の気持ちは聞きたいし、こちらも丁寧に説明する必要があると考えている。
今は恋愛よりも、大切な友人たちとの時間を大切にしたいのが本音だ。
とはいえ、友人たちも結婚すれば、少し疎遠になるかもしれない。生活スタイルが変われば気軽に会ったり、遊んだりできなくなるのは仕方ない。これから、結婚する友人も増えていくだろう。うれしいことだけれど、ちょっと寂しい。
私は一人でいることも好きだ。けれど、この先もずっと一人で生きていけるような強い人間でもない。感情をぶつけ合ったり、本音を言い合えたりする相手が、私には必要だ。死に際には、誰かにそばにいてほしい。
私が求めているのは「同志」と言えるパートナーの存在なんだろうと思う。そこに恋愛感情もあれば、人生に彩りが与えられるとは思う。でも恋心がなくても信頼や尊敬をベースに「それぞれの人生のために手を組みました」みたいな関係でもいいんじゃないかな。
まぁ、これはあくまで私の考えに過ぎません。「好き」ってよくわからないな……。
恋愛も結婚も出産もしないと決めていたから、今の私の恋愛偏差値は著しく低い。「そういう人生を送ってきたんだからしょうがないよね」と、自分自身に言い聞かせる。
「遅れてきた青春を取り戻す」と言えば、いかにもコンプレックスを抱えているように聞こえるけれど、「同志」となるパートナー探しを、今日からやっていくしかない。その気があれば「何か」起こるかもしれない。
精神年齢が全く追いついていないのに、着実に歳を重ねていて、そのギャップに「ぐぬぬ……」と自分に歯がゆさを感じる。ともあれ「そろそろ結婚してもいいお年頃じゃない?」という強力な世間体に惑わされずに、私なりの恋愛ができればいい。
その先に、結婚や出産を望む気持ちが生まれたら、そのパートナーと本音をぶつけ合って決断したいと思う。
よい人と出会えますように。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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