連載
#1 #アルビノ女子日記
「アルビノがしんどい」26歳女子、「白い髪」と向き合い知った幸せ
「ふつう」への憧れと向き合う、アルビノ女子の物語
「私なんて、生まれてこなければよかった」。アルビノの社会福祉士、神原由佳さん(26)はそう思ってきたといいます。生まれつき白い髪と肌。他の人と外見が異なることのしんどさゆえに、涙した日々。膨らみ続ける「ふつう」への憧れから、彼女を解き放ってくれたのは、友との出会いでした。同調圧力に押し潰されそうになりながらも、やがて自らの「色」を受け入れるまでの歩みについて、神原さん自身につづってもらいました。
「生きづらさの海に溺れてしまいそうだよ」
昨年2月、私はTwitterに、こんなつぶやきをした。
生きづらさとどう向き合うのか。私がずっと抱えているテーマだ。なぜ生きづらいのか。私が「ふつう」じゃないからだ。
アルビノとして生まれた私は、子ども時代から、日常の小さな出来事によって、「自分はふつうじゃない」という事実を突きつけられてきた。
人との違いを初めて強く意識したのは、小学校低学年のとき。似顔絵を描く授業だった。
私の髪は白に近い金髪で、肌は淡くピンクがかった白。瞳の中心は黄色で、その周りはブルーとグリーンの中間色。これらをクレヨンや色鉛筆で描くために必要な色は? すべての色が自分に合わない。先生にも相談できず、一人で悩みながら描いた。
黒板の上に掲示されたクラス全員分の似顔絵は、私を見下ろし続けた。黒髪の中に、ぽつんと金髪の似顔絵。「浮いているなぁ」と、居心地が悪かった。
学校で席は、アルビノに伴う弱視のため、いつも最前列。だから席替えもつまらない。日焼けをするとやけどのようになってしまうため、プールの授業は保健室学習だった。
こうした経験の一つずつの痛みは無視できるほど小さい。けれども、無意識のうちに蓄積され、痛みは心のコップを満たしていった。表面張力によって、ぎりぎり気持ちを保っているような状態だった。
小学校高学年のとき、廊下で低学年の男の子に呼び止められ「お姉ちゃん、どうして白いの?」と聞かれた。私が一番言われたくない言葉だった。この一言で、張り詰めていた気持ちが、一気に溢れ出した。
これがもし、悪意がある質問なら、私は彼を責めることができた。けれど、単純な好奇心から聞いたようだった。彼も、私も、誰も悪くない。「生まれつきだよ」とだけ答えると、そのまま保健室に走っていって泣いた。
人と違うことは、学校ではいじめのターゲットになりやすい。私はいじめにあうことはなかったけれど、空気を読めない友人がいじめられていた。彼らが排除される存在なら、「ふつう」でない私もいじめられるのではないかと恐れた。だから、私は目立たないように、周囲の言動に自分をあわせていった。
外見は「ふつう」になれない現実に悶々(もんもん)とした。黒髪で、視力がよくて、紫外線を気にせず思い切り外で遊ぶ。みんながごくごく当たり前にやっていることは、自分ができるようになることは一生ない。アルビノという要素を私から排除したかった。
中高生になると、アルビノであることの違和感はどんどん強まっていった。
「ふつうじゃない私は出来損ないだ」「私はいったい何者だろう」
思春期の私のアイデンティティはぐらぐら揺れた。アルビノでいることは、自分も周りの人も幸せじゃないような気がして「生まれてこなければよかった」とさえ思った。
自分がアルビノで生まれてきたことは、両親も、もちろん私も悪くない。誰かを責めようがないし、責めるつもりもなかった。とにかく悲しくて、保健室やお風呂場で静かに泣いていた。
大学に進み、周りが化粧を始めるのを見て、私も「化粧をしなければいけない」と思った。
ファッション誌には「髪形とメイクで第一印象をよくしよう!」みたいなタイトルの特集が組まれていた。第一印象が、人間関係にどれほど重要かが書かれていた。外見が「ふつう」ではない自分はただでさえマイナススタートだ。
友達ができないのは、恥ずかしくてみっともなくて寂しい。そんな思いはしたくないと思った。化粧によって「かわいさ」を手に入れれば、自分に自信が持てるようになるとも本気で思った。
しかし、かわいいメイクをしたくても、私の肌に合うコスメがなく、「ああ、私の色はないな」と思った。メイクは楽しいものではなく、つまらないものになった。みんなが当たり前にできていることが、自分だけできないのは恥ずかしいし、かっこ悪かった。
「神原がアルビノであることを気にしてないよ」
そう友人に言われると、自分の悩みが否定されているように感じるほど、私はこじらせていた。一方で、「大きな病気を患った人や障害者の方と比べたら、アルビノなんか悩むに値しない」と、自分の気持ちに蓋(ふた)もした。
そんな私を変えてくれたのは、人との出会いだった。
大学でのキャンパスライフ、そして社会人生活と、生きる世界が広がるにつれ、「アルビノであることに、どうしても悩んでしまう私」を、「好きだ」「そのままでいい」と言ってくれる人たちと出会うことができた。私のことを好きと言ってくれる人のためにも、自分で自分のことを大切にしたいと思った。
そして、アルビノであることをしんどいと思うのは素直な気持ちとして、「その感情は持っていいよ。間違ってないよ」と、自分自身に優しく語りかけられるようになった。
性的マイノリティや元ひきもりの友人もできた。「ふつう」のように見えても、よくよく話を聞くと親子関係に悩んでいたり、トラウマを抱えたりしている友人もいる。みんな何かしらの生きづらさを抱えている。
ひょっとして、私が思い描いていた「ふつう」は幻想で、「ふつう」の人なんていないのかもしれない。そう思うと、「ふつう」でなくてもいいと肩の力が抜けた。
すると、あれだけ排除したかったアルビノが肯定できるものに変わった。この白さを「個性」や「武器」と言い切れるほど前向きになることはできなくても、自分の中に「あってもいい」と今は思える。「自分はアルビノだ」と強く意識することも減った。
私は「ふつう」にずっと憧れていた。でも、アルビノに生まれた私には届かぬ望みだった。どうしてそんなに「みんなと同じ」になりたかったんだろう。子どものころはわからなかったけれど、大人になった今なら、わかる。
私を長年苦しめた「ふつうになりたい願望」の正体は、社会のあちこちに蔓延している同調圧力だったんだ。
26年間の人生で、今が一番幸せだ。自分のダメなところまで理解してくれる人たちと、何より自分自身を大事にできるようになってきたからだ。そんな今でも、ときどき生きづらさを感じることはある。
それは「見捨てられ不安」とも呼ばれる感情だ。でも、その不安は手の届かない「ふつう」を求めていた苦しみとは違う。
他人のことも自分のことも大切に思えるようになったからこそ、今までとは違った意味で人から見捨てられることが怖い。「どうせ自分なんて……」とネガティブな感情がつい出てしまう。
一方で、ダメな自分を許せない自分もいて、そのギャップにやきもきする。そんなときは、これまでどれだけ情けない姿を見せても、それでも懲りずに関わってくれる人のことを思い出す。私自身が作り上げた信頼関係を、自ら否定するようなことはしたくはない。
自分に自信がない私は、このエッセーの寄稿依頼を受けたとき、正直戸惑った。担当編集者の2人に「こんな私でよいの?」と打ち明けた。
すべての不安を言い切った後、最後に「私は、3人でチームになりたい」と言っていた。あまりに必死で、ダサかったけれど、2人は「それでもいい」と言ってくれた。
こじらせている私は、これからも生きづらさを抱え続けると思う。でも、そんな人生を生きる覚悟が今はある。生きづらさの海に溺れないように、泳ぐ力をつけていきたい。
【外見に症状がある人たちの物語を書籍化!】
アルビノや顔の変形、アザ、マヒ……。外見に症状がある人たちの人生を追いかけた「この顔と生きるということ」。神原由佳さんの歩みについても取り上げられています。当事者がジロジロ見られ、学校や恋愛、就職で苦労する「見た目問題」を描き、向き合い方を考える内容です。
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